50年前の10月25日、津市(旧白山町)の山間部で近畿日本鉄道の特急電車が暴走。対向列車と正面衝突し、25人が亡くなり、288人が負傷した。地元住民は再発防止を願い、近鉄は現地での研修など風化を防ぐ取り組みを続けている。
津市西部にある東青山駅のすぐ近くに、フェンスで閉ざされた古いトンネルがある。旧線にあった事故現場の「総谷(そうだに)トンネル」だ。
事故現場付近は当時は単線だった。近鉄などによると、1971年10月25日、大阪市の上本町駅を出発した名古屋行きの特急(4両編成)は、旧東青山駅の手前でATS(自動列車停止装置)の故障が原因の誤作動によって停車した。まもなく運転を再開したが、急な下り坂で速度を抑えることができず、対向列車と行き違いをするはずだった信号所を通過して脱線。午後4時ごろ、一部が転覆したままトンネルに入り、対向してきた賢島発難波・京都行き特急(7両編成)と衝突した。
運転士と旧東青山駅の助役がATSを手動で解除した際、通常のブレーキもかからない状態にしてしまい、減速できなかったと推定されている。
翌朝の朝日新聞(大阪本社版)は1面で、横見出しと大きな現場写真を添えて報じた。中面には乗り合わせた医師らによる懸命の救助活動の様子も記されている。事故現場近くでは、地元の住民が炊き出しやけが人の介抱などにあたった。負傷者たちは、線路づたいに2キロほど離れた隣駅にも続々とやってきたという。駅前に住んでいた服部真由美さん(64)は、当時中学生だった。戸板を担架代わりにして運ばれる人、特急のカーテンで傷口を覆う人がいたことを覚えている。
42人が犠牲になった信楽高…
【締め切り迫る!】スタンダードコース(月額1,980円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Leave a Comment