東京地検特捜部が1988年から翌89年にかけて捜査した、ある事件の担当検事・副検事・検察事務官の配置表を見せてもらったことがある。そこに名前が記された検事23人の中には、後に検察トップの検事総長となった3人、最高裁判事や証券取引等監視委員会委員長に任命された人のほか、プロ野球のコミッショナーに転じた人までいる。 見せてくれた人は「多士済々でしょう」と語った。
彼らが捜査したのは、就職・住宅情報会社のリクルートが政治家や官僚、財界人らに公開後は値上がり確実な関連会社の未公開株を譲渡するなどしたリクルート事件。元労働事務次官や前文部事務次官、前NTT会長らを収賄などの疑いで、前リクルート会長らを贈賄などの疑いで次々逮捕、起訴し、藤波孝生元官房長官と池田克也衆院議員を受託収賄の罪で在宅起訴した。当時の竹下登首相周辺にもリクルートから1億5千万円の資金提供などがあったことから、竹下内閣は総辞職に追い込まれた。
10月25日に菅原一秀衆院議員(自民)が経済産業相を辞任する原因となった冠婚葬祭での寄付規制は、このリクルート事件の反省から、89年の公選法改正で厳格化された。それまでは罰則の適用が選挙に関する寄付や通常一般の社交の程度を超えたものに限られていたため、事実上野放しだったが、政治家本人が出席した場合以外の寄付が罰則付きで禁止された。翌90年3月6日の衆院本会議で、海部俊樹首相は「平成の政治改革の第一歩」と答弁している。
菅原氏が地元衆院東京9区の有権者にメロンやカニなどを贈ったと週刊文春で報じられ、野党が追及の構えを見せているさなかの10月17日夜、菅原氏の公設秘書は地元有権者の葬儀で香典を出していた。菅原氏の指示かどうかは今のところ不明だが、平成が終わり、特捜部が政治家の捜査を久しくしないと「政治改革の第一歩」もないがしろにされるようだ。(共同通信編集委員=竹田昌弘)
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