大阪・道頓堀に、オオカミがやってくる。
昨年12月中旬の休日、そのオオカミは青いマントをはためかせ、道頓堀川沿いの遊歩道に突如現れた。持ち込んだスピーカーからハイテンポなクラブミュージックが流れ出すと、小刻みなステップを踏み始めた。 両手を大きく振ったり、手をたたいたり。体をくねらせる回転もお手の物だ。 通称「狼(おおかみ)さん」。大阪・ミナミを盛り上げるパフォーマーを自負する。
大阪市出身。子どもの頃から人を楽しませることが好きだった。かつては素顔でものまねをしたり歌を披露したりする様子をインターネットで配信したこともあった。声がかかり、芸能事務所にも一時所属した。
2年ほどが過ぎた。「誰もやったことがないこと」がしたくなり、事務所は辞めた。
素顔を隠し、街頭に立とう。「番犬のようにまちを見守る存在になりたい」と思った。もっともマスクはオオカミを選んだ。イヌよりかわいらしかった。
2017年12月、初めて道頓堀に立った。「人が集まる場所ならここ」。道頓堀川の橋の上で、通行人に手を振ってみた。「一緒に写真を撮って」と求める人たちが列をなした。
「テーマパークの主役になったみたい」
「人に求められている」との感覚がやみつきになった。英語のウルフ(狼)から自らは「ウルフェン」と名乗ったが、「狼さん」の愛称が定着した。
踊ったり、鍵盤ハーモニカでアニメソングを演奏したり。道頓堀で開かれるさまざまな催しにもゲリラ的に参加した。手を振られたら振り返す。自分を見た人にはとにかく楽しんでもらうことに心を砕いた。
活動を続けるうち、そっと支えてくれる人たちも出てきた。
着替えは公衆トイレでしていたが、近くのビルの空きスペースを貸してもらえるように。たこ焼きやスポーツドリンクを差し入れてくれる人もいた。このまちの「人情」が身にしみた。
恩返しのつもりで、地元商店街の防犯パトロールに参加した。大きなイベントがあるたびに起きる道頓堀川への危険な飛び込みをやめるよう、体を張って通行人を説得した。
昨年のコロナ禍は、道頓堀の光景を大きく変えた。
ごった返していた外国人客はすっかりいなくなった。閉店する店も相次ぎ、知人は解雇されて郷里に帰った。見物客の多さを競い合った大道芸人たちの姿を見ることも少なくなった。
緊急事態宣言が続いていた昨年5月、がらんとした道頓堀に立ち、ふいに取り残されたような寂しさに襲われた。もう「狼」はやめようか。
だがそんなまちで、「道頓堀の灯は消さない」と奮闘する商店主たちがいた。「今、自分がやめたら後悔する」と思い直した。夕刻、雨が降るなか、鍵盤ハーモニカを吹いた。カメラを向けてくれた人の姿に喜びを覚えた。
「番犬」としてまちを歩き回った。コロナ禍でも前に進もうとしている店の人たちと言葉を交わした。出会った人たちと撮った写真や、イベントの開催情報など街の話題も連日、SNSで発信した。まちの活気を取り戻したい。ただ、その一心だった。
「狼は話せない」という設定も変えた。時折、通行人に声をかけるように。「え、しゃべれるの」と驚かれ、手ごたえを感じた。
親子連れのファンに手書きの似顔絵を贈られ、通りがかりのおばあちゃんに道を聞かれる。「狼」は徐々に、道頓堀の「自然」になってきている。
4年後の大阪・関西万博でパフォーマンスを披露するのが今の目標だ。
「大阪に来る人にとってもっと身近な存在になりたい」。そんな思いを胸に、オオカミはきょうも道頓堀を駆け回る。(添田樹紀)
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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