玉城知事「沖縄から平和の声をつなげる」 復帰50年の平和宣言全文

 沖縄県で23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった人らを悼む追悼式典があり、玉城デニー知事が平和宣言を読み上げた。戦後77年、そして日本に復帰して50年。厳しい世界情勢の中、沖縄が果たす役割について玉城知事は「沖縄から世界へ平和の声をつなぐ」と宣言した。

 ここ沖縄は、先の大戦において、一般住民を巻き込み、史上まれに見る苛烈(かれつ)を極めた地上戦の場となりました。鉄の暴風は20万人余りの尊い命を奪い去り、貴重な文化遺

産や緑豊かな自然を破壊しました。

 あれから77年目となる6月23日を迎えました。

 戦争の不条理と残酷さを身をもって体験した県民は、一人一人の不断の努力と揺るぎない信念を持って、戦後の廃虚と混乱から懸命に立ち上がり、共に手を取り合って幾多の困難を乗り越えてきました。

 今年、沖縄は本土復帰50年の節目の年です。

 復帰の前年1971年、当時の琉球政府が日本政府・国会に提出した復帰措置に関する建議書においては、「基地のない平和の島」としての復帰を強く望むことが明確に記されております。

 しかしながら、今なお国土面積の約0・6%しかない沖縄に、日本全体の米軍専用施設面積の約70・3%が集中しており、米軍基地から派生する事件・事故、航空機騒音、水質や土壌などの環境汚染など、県民は過重な基地負担を強いられ続けています。

 このため沖縄県は、在沖米軍基地の更なる整理・縮小や、日米地位協定の抜本的な見直し、事件・事故等の基地負担の軽減、普天間飛行場の速やかな運用停止を含む一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など、沖縄の基地問題の早期の解決を図ることを強く求めてまいります。

 平和で真に豊かな沖縄の発展に向けて、貴重な自然環境や沖縄独自の文化を、未来を担う子や孫たちに引き継いでいくことが私たちの責務です。

 世界においては、依然として地域紛争は絶えることがなく、難民、貧困、飢餓、差別、人間としての尊厳が蹂躙(じゅうりん)されるなどの深刻な問題が存在しています。

 ウクライナではロシアの侵略により、無辜(むこ)の市民の命が奪われ続けています。美しい街並みや自然が次々と破壊され、平穏な日常が奪われ、恐怖と隣り合わせで生きることを余儀なくされている状況は、77年前の沖縄における住民を巻き込んだ地上戦の記憶を呼び起こすものであり、筆舌に尽くし難い衝撃を受けております。

 沖縄県としては、人道支援の立場から、ウクライナからの避難民受け入れ等の支援を行っており、一日も早い平和の回復を強く望みます。

 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と、ユネスコ憲章の前文に記されております。

 平和な社会を創造するためには、国際社会が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、お互いを尊重し、対話を重ね、共に平和を追求していくことが、今求められているのではないでしょうか。

 沖縄には、独自の歴史や文化によって培われた寛容の心と万国津梁(しんりょう)の精神で多くの国々と交流し、平和を維持してきた歴史があります。

 このような歴史を積み重ねてきた沖縄県では、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻銘した「平和の礎」を建設しました。

 今年も新たな追加刻銘を行い、24万1686人の方々が刻銘されており、この取組は今なお続いております。

 私たちは、激動が続く世界情勢の中で、今こそ、平和の礎に込められた平和と命の尊さを大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を国境を越えて世界に発信していくことが重要だと考えております。

 戦後77年が経ち、戦争を知らない世代が大半を占めるなど悲惨な沖縄戦の記憶が薄れていく中で、忌まわしい戦争の記憶を風化させないために、沖縄戦の実相や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。

 沖縄県では、復帰当時の県民の願いを引き継ぎ、復帰から50年経った現在においてもなお残る課題の解決と、県民が望む沖縄21世紀ビジョンで描く沖縄のあるべき姿の実現に向け、「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」をとりまとめました。

 令和4年度から始まった「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」に基づき、県民が望む「平和で豊かな『美ら島』おきなわ」の未来に向けて、沖縄県の持つ様々な特性をいかしながら、「誰一人取り残すことのない優しい社会」の実現に全力で取り組んでまいります。

 私たちは、沖縄から世界へ平和の声をつなげ、二度と沖縄を戦場にさせないために、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります。

 「命(ぬち)どぅ宝」んでぃ言(いゅ)る格言(いくとぅば)や、私達(わったー)御先祖(うやぐゎんす)ぬ 遺(ぬ)くちくぃみそーちゃる何事(ぬーぐとぅ)にん勝る黄金言葉(くがにくとぅば)やい(ゐ)びーん。

 くぬ命宝(ぬちだから)やる格言や、何時(いつい)ぬ時代(でー)までぃん継(つぃ)なじいゃびらな。

 誰一人(たーちゅい)やてぃん命奪(ぬちぼー)らってぃんならん、あんし奪(ぼー)い(ゐ)さんんぐとぅ 御万人(うまんちゅ)が心穏(なだやし)くそーてぃ暮らさりーる安寧(くくるやっさ)る世(ゆ)ぬ中んかい(ゐ)なさびらな。

 子共達(わらびんちゃー)ぬ瞳(みー)が輝(ふぃちゃ)い(ゐ)かんてぃ、全(まじり)ぬ方々(ぐにんじゅ)が幸(しぇーえー)やんでぃ いゅる実感(うむい)ぬない(ゐ)る希望(ぬじゅみ)ぬ満(み)っち溢(あん)でぃーる社会(ゆぬなか)なしみてぃ 今世(なまぬゆー)から未来(あとぅぬゆー)までぃん築(つぃみかさび)てぃいちゃびらな。

 Your lives matter

 It is life, itself, that matters more than any treasure

Nobody has the right to take another life

 Nobody should be left behind or have to live with fearWe will pass our faith of “Nuchi-du-takara”(命どぅ宝) on to the succeeding generations

 So that we can create a society where our children’s eyes brightly with hopes, and all people are able to live in peace

 Let’s work together to hand down our compassionate society that embodies the spirit of the Okinawan People

 Let’s continue building a bright future for our children and grandchildren!

 本日、慰霊の日に当たり、国籍の区別なく犠牲になられた全てのみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和のたまあいとうまこと

 尊さを正しく次世代に伝え続け、国際平和の実現に貢献し、すべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

 令和4年6月23日

 沖縄県知事 玉城デニー

◆方言及び英語の意訳

 命(ぬち)どぅ宝 命こそ宝をいつの時代でも語り継ぐこと。

 誰かの命が奪われず、命を奪うこともせず、人々が心穏やかに暮らせる安寧な世の中にすること。

 子ども達が瞳を輝かせて、全ての人々が、幸せだと実感できる希望に満ちあふれた社会を今から未来へ築いていこう。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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