現代まで続く祭りは「奇跡に近い」 問い直される意味

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、全国各地で祭礼や伝統行事の中止や規模縮小が相次いでいる。古都・京都でも、葵祭や祇園祭、時代祭の三大祭りがいずれも、行列を取りやめるなど規模が縮小され、夏の伝統行事、五山送り火も文字どおりの「点灯」を余儀なくされた。やむを得ないとはいえ残念な思いは禁じ得ないが、一方で、本来の祭礼そのものの意味を改めて考えるきっかけとなった面もあるだろう。

 奈良大学の河内将芳(かわうちまさよし)教授(日本中世史)の新著『室町時代の祇園祭』(法蔵館)が大いに参考になった。

 平安時代以降で、最も盛大だったという室町時代の祇園祭を史料から読み解くこの本は、これまで祇園祭について語られてきたいくつかの「常識」を覆してくれた。

 たとえば起源について。平安時代の貞観(じょうがん)11(869)年に疫病を鎮めるため、神泉苑に66本の矛を建てた「祇園御霊会(ごりょうえ)」が行われた、と語られてきたが、じつはこの話は大きく時代をくだった江戸時代前期に成立した記録にしかみられないのだという。

 一方で、鎌倉時代の記録には、…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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