日本国内に現存する12天守の中で、「最古」はどこか-。これまで戦国時代の建造として最古とされてきた丸岡城(福井県坂井市)が今年3月、学術調査の結果から江戸時代の1620年代後半以降の建造と判明した。丸岡城が最古ではないとなると、「われこそ最古の天守」と各地の城の関係者が盛り上がりそうだが、そういった声は聞こえない。実は、「最古」はそう簡単には主張できないのだ。
■「有力候補」は松本城だが…
城郭が形成された築城時期の天正4(1576)年に天守も創建されたという説から「最古」とされてきた丸岡城。今年3月、坂井市教委は酸素同位体年代調査などの結果、建造時期は寛永年間(1624~44)と結論づけた。
50年近く新しいとなれば、さすがに「最古」ではなくなる。文化庁がインターネット上で公開する「国指定文化財等データベース」によると、新たに最古の候補となるのは松本城(長野県松本市)の天守だ。
松本城は5層6階の大天守をはじめ、渡櫓(わたりやぐら)、乾小天守(いぬいしょうてんしゅ)の計5棟で構成される壮大な天守群。国宝にも指定されている。このうち乾小天守(いぬいしょうてんしゅ)が、天正20年と文禄元年にまたがる1592年に建造されたとされている。
だが、松本城管理事務所は「建造年代を断定的に示すことができない。最古とは言い切れない」と慎重な姿勢。実は、天守の建造時期には諸説あるのだ。
■諸説あり判然とせず
松本市は平成元年、有識者による懇談会を設けて史料を検討。松本城の天守建造は石川数正、康長親子が城主だった文禄2~3(1593~94)年だとする「公式見解」をまとめた。
ただ、これで議論が決着した訳ではない。松本城の場合は、複数の建造物が連なる天守群であることがネックとなり、建造時期の断定は困難となっているのだ。
市の有識者会議の公式見解は、天守群は一体で建てられたとする。だが文化庁のデータベースは、大天守の建造は1615年ごろで、ほか4棟は別々に建造されたとの見方を採用している。
松本城が特別なケースなのではない。国宝の犬山城(愛知県犬山市)も同じく建造時期には諸説がある。
天文6(1537)年、織田信長の叔父、信康が城郭を移築して築城したとされる犬山城。このとき天守の2階部分まで建てられたという説もあるが、文化庁の「データベース」は慶長6(1601)年建造としているほか、異なる説も存在するのだ。
一方、城を所有する公益財団法人「犬山城白帝文庫」は「天守は16世紀末から17世紀前半に現在の姿になった」と説明。「諸説あるなかで、特定の年を示すことは難しい」とする。
■古さが価値ではない
建造年代はなぜ特定できないのか。奈良大学の千田嘉博教授(城郭考古学)は「建造と同時代の正確な記録が残っているのはまれ。後世の史料から推測している城もあり、すべての天守で年代を確定するのは困難だ」と説明する。
特に、松本城も犬山城も天守が建てられたとみられる時期は、戦国後期から江戸初期の戦乱期。城主も次々と変わり、天守を建てた経緯は分かりにくくなっている。
一方、彦根城(滋賀県彦根市)天守は慶長12(1607)年、姫路城(兵庫県姫路市)天守は慶長14(1609)年と、確定的な建造時期が判明している。これはいずれも、解体修理で建築材に年代を示す墨書きが見つかったためだ。史料の再検証も行われたが、結果的には墨書きが年代特定の決定打になった。
だが、千田教授は「古いから価値があるのではなく、それぞれの時代の社会や技術を反映され建設されたことに意義がある」と強調する。歴史的建造物の価値を決めるのは、「古さ」だけではないのだ。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース