戦前の沖縄の人や風景を写した写真165枚が、朝日新聞大阪本社(大阪市)で見つかった。朝日新聞では過去に1935年の沖縄を写したネガが見つかり「よみがえる沖縄1935」として紙面や写真展で紹介したが、今回はさらに古い大正時代の写真も含まれている。戦前の沖縄の写真は戦災で多くが失われ、まとまった形で見つかるのは珍しい。琉球王国(1429~1879年)から日本へと変容していく、沖縄のありし日の姿が浮かび上がる。
拡大する県立第一中学校(現・首里高校)の教職員や生徒が創立50周年記念運動会で再現した旧琉球国王の「御三ケ寺参詣行列」。実際に国王が使ったかごや傘が、尚家から貸し出されたという。参加者は「ハチマチ」と呼ばれる冠をかぶり、琉球王国の役人に扮している=1930年12月12日、沖縄県首里市(現・那覇市)、朝日新聞社所蔵
大半が紙焼き写真。時期は確認できる範囲で1921(大正10)~1944(昭和19)年。多くは現在の那覇市とみられるが、石垣島などもあった。撮影者がわからないものも含め、記事の相互提供や人材交流をしている沖縄タイムスと共同で取材した。(真野啓太)
日本との結びつきが強まるにつれ、沖縄の街や暮らしは大きく変わった。今回見つかった165枚の写真には、そんな変化の時代を生きた沖縄の人たちの素顔があった。
王国伝統の「組踊」、昭和天皇の弟に披露か
朝日新聞大阪本社が所蔵する今回見つかった沖縄関連の写真の中には、琉球王国の伝統歌舞劇「組踊(くみおどり)」の写真があった。場所は、明治政府による「琉球処分」(1879年)で首里城を追われた王家が移り住んだ中城御殿(なかぐすくうどぅん)の軒先とみられる。裏に「台覧」(高貴な人が見ること)とあり、昭和天皇の弟で、1925(大正14)年5月に沖縄を訪れた秩父宮に披露された際の写真と思われる。
拡大する1925(大正14)年、秩父宮の沖縄訪問時に披露されたと思われる組踊。撮影場所は、台覧された尚伯爵邸だとみられる。同年6月1日付大阪朝刊に関連する写真が掲載=沖縄県首里市(現・那覇市)、朝日新聞社所蔵
演目は組踊の代表作「二童敵討(にどうてぃちうち)」で、2人の少年の敵役「阿麻和利(あまわり)」を演じるのは玉城盛重(たまぐすくせいじゅう)(1868~1945)=写真右端。組踊は中国皇帝の使者を歓待する歌舞劇で、盛重は1866年に琉球が最後に使者を迎えた時の舞台「御冠船踊(うかんしんおどり)」の担当役人の指導を直接受けた一人だ。
戦後沖縄を代表する舞踊家、島…
【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル