琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)(滋賀県長浜市)の宝厳寺(ほうごんじ)の唐門(からもん)(国宝)など4棟と隣接する都久夫須麻(つくぶすま)神社(竹生島神社)の本殿(国宝)の計5棟が、豊臣秀吉が建てた大坂城の極楽橋を移築した可能性が高いことがわかった。滋賀県によると、1615年の大坂夏の陣で焼失した大坂城の建物はほかに現存せず、派手好みの秀吉らしさが伝わる貴重な遺構という。
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- 大坂城の極楽橋
- 1596年、城の北部(京都側)の内堀に架けられた。長さ約40メートルで、イエズス会宣教師ルイス・フロイスの記録によると、鍍金(めっき)を施した屋根や太陽を浴びると輝きを放つ小櫓(やぐら)などがある豪華な橋だったという。大坂城を題材にした屛風(びょうぶ)にも描かれている。橋の移築は、京都・醍醐寺の三宝院門跡、義演(ぎえん)の「義演准后(じゅごう)日記」に、秀吉死後の1600年、秀吉をまつる京都の豊国廟(びょう)に移されたとの記述があり、豊国廟の社僧が書いた「舜旧記(しゅんきゅうき)」には02年、廟から竹生島に寄進されたと記されている。
寺の唐門などは1603年、秀吉の子の秀頼の命で整備された。竹生島は秀吉が初めて城主となった長浜の沖にあり、豊臣家と宝厳寺は縁が深かった。
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大坂城の極楽橋は、屋根付きで豪華だったとされる。秀吉をまつる京都の豊国廟(びょう)に移築され、さらに竹生島に移されて唐門に使われた、と当時の文献に記述があるが、建物の調査で移築の可能性に迫ったのは今回が初めてになる。
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宝厳寺の唐門、観音堂(重要文化財)、2棟の渡廊(わたりろう)(渡り廊下、重文)、神社本殿の5棟は連なって建つ。滋賀県が2013~20年、寺の4棟を修理した際に神社も含めて調べ、屋根の軒を支える「組物(くみもの)」という柱上部の複雑な構造について、5棟に三つの共通点を発見した。
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見つかった共通点とは?
組物は多くの部材が使われてい…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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