阪神・淡路大震災で建物の7割近くが全壊し、多数の犠牲者が出た神戸市東灘区本山中町4丁目に小さな慰霊碑がある。建てられたのは2年前だが、個人情報への配慮から名前は刻まれていない。震災から17日で26年。そこで暮らした人たちの生きた証しや、地域の被災の歴史をどう伝えるのかが問われている。
本山中町4丁目はJR摂津本山駅の南側にあり、神戸線の線路と国道2号に挟まれた約300メートル四方の地域だ。震災前は市場があり、戸建て住宅と長屋が混在する下町の風情が残る街だったが、468棟の建物の約67%にあたる312棟が全壊し、壊滅的な被害を受けた。
震災後、自治会のある本山中町1~3丁目は、役員らが遺族を回って同意を取り付け、近くの中野北公園に犠牲者75人の名前を刻んだ慰霊碑を建立した。自治会のない4丁目では、そういった動きが起きず、碑ができなかったという。
「名前ないのはかわいそう」 市に問い合わせたが…
一昨年の震災の日、4丁目で薬局を営む大町眞由美さん(73)が公園でラジオ体操を終え、碑に手を合わせて帰ろうとしたところ、知人から「4丁目の人の名前がないのはかわいそうだ」と言われた。
同じことを感じていた大町さんは、山田美代子さん(77)ら、4丁目にある国道地蔵尊の世話をする奉賛会のメンバーに相談。お地蔵さんの隣に慰霊碑を建てることを決めた。
しかし、4丁目で誰が亡くなっ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル