生きている人間が沖縄にいること、忘れないで 戦争から一続きのいま

 今年5月、沖縄は本土復帰から50年を迎える。凄惨(せいさん)な地上戦を経て、戦後長らく日本から切り離された島で生きてきた人々の生活について、私たちは何を知っているだろう。沖縄について考えることは、日本について考えることでもある。沖縄の生活史調査をしてきた社会学者の岸政彦さんに、沖縄を取材してきた記者が聞いた。

沖縄戦と戦後を生き抜いた経験は連続している

 ――本土出身の岸さんと沖縄とのかかわりは、どのように始まったのですか。

 「20代で初めて訪れ、沖縄に恋い焦がれる、いわゆる『沖縄病』になりました。家電やCDを売ってお金を作っては、毎年のように訪ねた。大学院の博士課程で研究対象にしたのですが、お金がないので、現実的にできる研究方法が生活史の聞き取りでした」

 「以来、戦時中から復帰前、復帰後にかけての多くの人々の経験を聞き取り、記録に残しています。沖縄戦についての調査は膨大にありますが、戦後の経験も合わせてトータルで聞く研究は他にはないでしょう。そんな聞き取り調査で理解したのは、沖縄戦は1945年3月26日から6月23日までの3カ月間だけのものではなかった、ということです。米軍基地が今もある以上、復帰後から現在まで一続きのものなのです」

 ――沖縄戦は、戦後もずっと続いてきた、と?

 「沖縄戦と戦後を生き抜いた経験は、沖縄の人たちのなかで連続しています。ある高齢女性は、沖縄戦で米軍から逃げて畑のサトウキビで命をつないだ話と、戦後に基地の敷地内を畑にする『黙認耕作地』でイモを作り、不発弾を集めてスクラップとして売った話などを、まるで自然現象のような一続きの経験として語りました」

 「沖縄戦では、握り飯を持っていた日本兵が、住民の年寄りや子どもにあげずに自分たちだけで食べていたことを女性は記憶していた。米兵は戦後、チョコや肉をくれたのに、日本兵は逆に食料を奪ったりもした。だから、米軍よりも日本軍に対する反感の方が強い。当たり前ですが、食べなければ人間は生きられない。語りから、その重みを感じました」

社会学者の岸さんは沖縄戦はある意味、現在まで続いていると考えています。記事後半では、沖縄の歴史から生まれた思想やアイデンティティーについて論じます。

同じ人間が大国の間で踏みにじられていること、忘れないで

 ――戦後の米軍支配時代の生活について、確かに本土ではまったく知られていません。それが、本土からの視線と沖縄の人々の思いが食い違う理由でしょうか。

 「沖縄の人たちが、どうやって食べてきたのか、私たち日本人はあまり真剣に考えてこなかったと思います。沖縄戦の集団自決で、家族で唯一生き残ったという男性の話が強く印象に残っています。家族や親類が集まり、真ん中に手投げ弾を置いて爆発させる。その自決で死んだ弟の話をして、男性は机の端をつかみ、嗚咽(おえつ)を漏らして号泣しました」

 「そんな経験をしながらも…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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