「甲子園」の3文字がずっと頭から離れなかった。大学生になってもそうだった。
2020年5月20日。高校3年生だった大武優斗さん(20)がテレビを眺めていると、「夏の甲子園中止」という見出しのニュースが目に飛び込んできた。
スポーツ推薦で甲子園出場経験のある城西高校(東京都豊島区)に入り、ようやくレギュラーの座をつかんだところだった。
すぐには実感が湧かなかった。翌日、教室に集まったチームメートの顔は一様に曇っていた。新聞やテレビで連日報道され、現実を受け止めざるを得なくなった。
父から託された夢
かつて甲子園を目指した父親から夢を託され、小学1年から野球を始めた。
中学では強豪シニアチームに入ったが「上には上がいる」と知り、「プロが無理なら目標は甲子園に絞ろう」と思い定めた。
高校時代はひざのけがを繰り返した。2年の時の秋大会が終わってもひざの違和感が消えず、「最後の夏までは粘ろう」と決意。全体練習の後も夜遅くまで自主練に励み、翌年の春大会の前、背番号9をもらって先発メンバー入りを果たした。
そんなとき、新型コロナの第1波が国内を襲った。春の大会に続いて夏の地方大会と甲子園も、戦後初めて中止になった。
各地で独自の地方大会が開かれることになったが、練習には打ち込めなかった。甲子園への道が途絶えて、気持ちが切れた。
まもなく監督から、部員それぞれにメールが届いた。
「城西を背負って独自大会に…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル