その昔、とんちを利かせて権力者をやりこめたと伝わる北海道江差町の「繁次郎(しげじろう)」。怠け者でちょっといい加減な男だが、どっこい町民に愛され、今も町のヒーローなのだ。
町には「繁次郎」があふれている。あちこちで繁次郎の像や絵が出迎え、砂浜や温泉、飲食店などにもその名が付けられている。交通安全運動の旗にも助っ人で登場するほどだ。
江差の繁次郎とは?
函館・道南大事典や北海道大百科事典などによると、「江差の繁次郎」の出身は江差町の隣の厚沢部町で、江戸時代の文化年間(1804~18)に生まれた。5尺(約150センチ)に満たない小男ながら、酒好きで大食漢。仕事に身が入らず、頓才を発揮して減らず口をたたいて歩く「もてあまし者」だったという。江差町の法華寺に残る「俗名繁次郎」の過去帳には、明治3年没とある。
地域のニュースとともに繁次郎にまつわる小話を紹介してきた「繁次郎通信」を発行する松崎浩さん(68)は「人気にあやかって題字に採用しました」。
町内で手作り遊工房「紺屋」を営む紺谷捷子(しょうこ)さん(83)は、繁次郎の語り部を自任する。「言い伝えではかなりいい加減な人だったみたいね」。そう笑いつつも、「社会の潤滑油になっていた繁次郎の『いい加減』な精神力こそ、今の時代に必要では」と話す。
ニシンの豊漁にわく時代に生きた繁次郎だが、仕事には身が入らず、みんなを調子に乗せてごちそうになったり、お金を無心したり。人びとは「また繁次郎にだまされた」と苦笑しながらも、憎めない。
時には、持ち前の頓才で松前の殿様をおちょくったり、意地悪な巡査の鼻をあかしたりもする。そんな繁次郎の振る舞いに、庶民は留飲を下げたという。
紺谷さんは、子どもの頃に叔…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル