町亞聖が家族でつづった母の介護日記 決めていった覚悟



 町亞聖さん(48)は民放テレビ局のアナウンサーとして活躍した後、フリーとなりラジオ番組などに出演しています。華やかな世界にいるように見えますが、実は10代から20代にかけて、母親の介護に明け暮れました。その「記録」は、2冊の大学ノートに残されています。家族みんなで書いたものです。どんな内容なのでしょうか。町さんが振り返ります。

「お母さん日記」

 母は1990年、私が高校3年の時にくも膜下出血で倒れました。右半身まひと言語障害という重い障害が残りました。車いすの生活になって約8年後、今度は末期の子宮頸(けい)がんが見つかります。それから約1年半、49歳で亡くなるまで私や父、弟、妹による介護生活が続きました。母が子宮頸がんで入院中と、看取(みと)りに向け在宅看護をしている間(98年6月21日~99年11月9日)、この2冊の大学ノートに家族で「お母さん日記」をつけました。母の病状や発言などについて、家族間や看護師さんとで情報共有するためです。

 好きな人が好きなときに何でも書いていい、というルールにしました。主治医から言われたこと、食べた物、自分たちの気持ち……。父と弟は、どちらかというと食べた物や体の状態など、事実を淡々と記す感じ。一方妹と私は、情緒的な文章が多く、妹は時々イラストを入れていました。

 98年7月3日には、病院に母…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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