畏敬の念と、嫉妬と 水俣撮ったユージン・スミス、案内した写真家

 カメラを持った外国人男性が、父に抱かれた水俣病患者の娘に目を奪われている。白黒写真の中の男性は、世界に水俣病の実態を伝えた米国の写真家ユージン・スミス(1918~78)。50年前に水俣に入ったユージンを、地元で撮影を続けていた写真家の塩田武史さん(1945~2014)のカメラが捉えていた。

 塩田さんの妻弘美さん(74)が今年5月ごろ、熊本市内の自宅の段ボールに残されていた写真を整理していて、ユージンが写った未発表作を確認した。

 母親のおなかの中で水銀の被害を受けた胎児性患者の上村智子さんを抱く、父の好男さん。患者の遺影がある部屋で牛乳を手にするユージン。縁側で地域の人たちとくつろぐ様子や、漁船に乗って漁を撮影する様子――。塩田さんが出した写真集「僕が写した愛しい水俣」(岩波書店)や「水俣な人 水俣病を支援した人びとの軌跡」(未来社)には載っていない写真だ。

 ユージンは1971年9月、結婚したばかりのアイリーン・美緒子・スミスさん(71)と熊本県水俣市の駅に降り立った。当時は、患者家族が原因企業チッソ(東京)を相手に損害賠償を求めて初めて起こした水俣病第1次訴訟(69~73年)のただ中だった。2人を原告の家々へ案内したのが、塩田さんだった。

 塩田さんは67年、胎児性患者の存在を知り、大学卒業後の70年に水俣市に移住して患者家族の撮影を続けていた。上村さん家族とも親しく、ユージンらが患者家族から借りて住んでいた家も近かった。

 ユージンとアイリーンさんが水俣入りしたばかりの時期に、塩田さんは著名な写真家への思いをにじませて、写真誌アサヒグラフにこう書いている。

 日本という異郷の地で、しかも九州の南の地で、日本の企業犯罪を、水俣の漁民を、水俣病を、どうとらえるのか――こうしたものと、私自身の写真家ユージン・スミスへの畏敬(いけい)の念とで、私は案内役をかってでた。

 ユージンとアイリーンさんは塩田さんの案内で精力的に患者を撮影した。水俣に来て約3カ月後の年の暮れ、ユージンは一枚の写真を撮る。母親に抱かれた智子さんが入浴する様子を写したそれは、後に「ライフ」誌を通じ世界に伝わった。公害の現実と限りない親子の愛を伝える、ユージンの写真で最も知られる一枚となった。75年にユージンとアイリーンさんが出版した写真集「MINAMATA」にも収録された。

 ユージンについて弘美さんは、「大柄でユーモアのセンスがあって、口の中に砲弾の破片が入っているから牛乳で栄養をとっているんだと言われていました」。ユージンは第二次大戦末期に従軍した沖縄戦で、日本軍の砲撃で重傷を負っていた。

 ユージンは「塩田の写真はもっときちっと焼けば、私のよりよくなる」と語っていたという。ライフ誌に載ったユージンの写真について、弘美さんは言う。「主人は智子ちゃんのおむつを替えている写真を撮ってくれと私に頼んだこともあった。撮ることに抵抗があり、自分は撮れなかったんでしょうね」

 智子さんは77年に21歳で亡くなった。ユージンが78年に死去した直後、塩田さんは朝日新聞に寄せた文であの一枚について短くこう記した。

 それは私を最も嫉妬せしめる写真でもあった。(奥正光)

【MINAMATA ユージン・スミスの伝言】ユージンが見つめた人々の勇気と不屈の魂

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水俣病〉チッソ水俣工場(熊本県水俣市)が不知火(しらぬい)海に流した廃水中のメチル水銀を原因とする公害病中枢神経が侵され、熱さなどの感覚が鈍くなる、見える範囲が狭くなるなどの症状がある。1956(昭和31)年5月1日、水俣保健所に原因不明の病気の多発が届けられ、公式確認された。

 これまで2283人が患者と認定されたほか、約7万人は典型症状があるとして水俣病被害者救済法などで被害を認められた。いまも約1400人が熊本、鹿児島両県に患者認定を求めており、損害賠償などを求めて訴訟を起こしている人も約1700人いる。

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映画「MINAMATA―ミナマタ―」〉米国の写真家ユージン・スミスと元妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(71)が1975年に発表した写真集「MINAMATA」に基づく物語。ジョニー・デップが演じるユージンは心に傷を抱えながら、アイリーンさん(美波)との出会いをきっかけに工場排水によって住民に健康被害が出ている水俣に向かう。患者の両親(浅野忠信、岩瀬晶子)や、被害者救済に尽力する運動のリーダー(真田広之)らが直面する現実に心打たれ、被害の実態を写真で捉えることに没頭していく。

 登場人物は実在の患者らがモデルになっている。アンドリュー・レビタス監督らは2018年9月、水俣を訪れ、胎児性患者の坂本しのぶさん(65)らに会って制作の意向を伝えた。映画はモンテネグロやセルビアで撮影された。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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