国吉美香、奄美通信員・神田和明
太平洋戦争中、沖縄からの疎開児童らを乗せた「対馬丸」が米軍の魚雷で沈没して78年となった22日、那覇市で慰霊祭があった。生存者らが流れ着いた鹿児島県・奄美大島でも平和学習があり、犠牲者を悼んだ。
対馬丸は1944年8月、国の集団疎開の決定を受けて長崎に向けて出発。22日にトカラ列島沖で撃沈された。正確な犠牲者数は不明で、これまでの遺族らの調査で、学童784人を含む計1484人の犠牲が判明している。
那覇市内にある慰霊碑「小桜の塔」での慰霊祭は、新型コロナウイルスの影響で3年連続で規模を縮小して開催され、約10人が参列した。4歳で対馬丸に乗り、家族9人を亡くした高良政勝さん(82)は、今年のロシアによるウクライナ侵攻に触れて「武器で戦うのではなく、言葉で解決する道筋を探ってほしいと、対馬丸の子どもたちは願っている」とあいさつした。
埼玉県から初めて慰霊祭を訪…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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