東京大学特別栄誉教授の小柴昌俊さんが12日死去した。宇宙や物質の謎を追い続け、後に続く科学者たちのために道を切り開いた人生だった。
旧制中学時代にポリオ(小児まひ)にかかり、軍人や音楽家になる夢をあきらめた。病床を見舞った当時の担任からアインシュタインらの本「物理学はいかに創られたか」(岩波新書)を贈られ、研究の道を志した。
ノーベル賞の受賞につながった研究対象は素粒子ニュートリノ。自ら発案した観測装置「カミオカンデ」で、超新星爆発からのニュートリノを初観測したのは、1987年2月23日。東大を退官する1カ月前だった。
東大退官後も東海大学理学部の教授も務め、多くの研究者を育てた。
03年にはノーベル賞の賞金などを提供して「平成基礎科学財団」を設立。財政上の問題などで17年に解散するまで、科学教室を開いたり、理科教育で功績があった人たちを表彰したりして、日本の基礎科学の発展に力を注いだ。
02年にノーベル賞の受賞が決まった際の記者会見では「これからの夢は教え子がノーベル賞をもらうことかな」と語った。
その言葉通り、師弟関係だった東大の梶田隆章・宇宙線研究所長が、ニュートリノの研究で15年にノーベル賞を受賞した。梶田さんの研究に使われたのは、小柴さんの発見がきっかけで建設された後継の観測装置「スーパーカミオカンデ」だ。現在、さらに観測性能を高めた「ハイパーカミオカンデ」も計画されている。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル