大分県立大分舞鶴高校が第94回選抜高校野球大会の開幕試合に登場する。春夏通じて初めて甲子園。卒業生でミュージシャンの南こうせつさん(73)は「暗いニュースが続く中、純粋に白球を追う高校生の姿、真っすぐな心持ちに、今こそ希望が見えるんです」と語る。
――母校の大分舞鶴が甲子園に出場します
本当にうれしかったですね。舞鶴は昔からラグビーが圧倒的に強い学校でした。野球で母校が甲子園に出るというのは、びっくりしました。
――在学当時の大分舞鶴はどんな学校でしたか
勉強、勉強の進学校でした。僕らは団塊の世代で、1クラスに生徒が50~60人もいた。小学校の頃からずっと競争で、ものすごい受験戦争の時代だった。舞鶴の先生は「同じ学校で勉強している人たちも敵と思え」と言うくらいでした。
――校是「しまれ がんばれ ねばれ おしきれ」が、選抜大会出場を機に知られるようになりました
僕らの頃の「しまれ がんばれ ねばれ おしきれ」は、「勉強して、他人を蹴落として、良い大学へ行け」という意味合いで言われていた。そのことが頭の中にこびりついていて、なんだかちょっと嫌だなあと思っていました。後になってから、自分を叱咤(しった)激励するための言葉だったと腑(ふ)に落ちた。でも選抜では再び昔の「しまれ がんばれ……」で頑張ってほしいです。
――どんな高校生活を送っていましたか
合唱部の部長をしていました。授業が終わったらすぐに部活に走っていって。はみ出しもんの僕らとしては、せめてそこでみんなで歌を歌って、合唱コンクールの練習をしたりするのが慰めでした。
練習が終わってみんなが帰った後には、学校のとある場所に隠しておいていたギターを持ち出して、フォークソングを歌っていました。
文化祭では、合唱部の後輩の伊勢正三、元大分市長(釘宮磐さん)の弟の釘宮誠司と3人で組んでいたバンド「ヤング・フォーク・スリー」で歌いました。
当時、学校では文部省(当時)が指定した歌しか歌ってはいけなかった。文化祭で歌った3曲のうち2曲は指定の曲。もう1曲は、僕と正(しょう)やん(伊勢正三さん)がオリジナル曲をつくって、先生には「指定の歌です」と言って歌ってしまいました。
――南さんはたびたび甲子園で流れて話題になる明豊高校の校歌を作曲しています。もし、大分舞鶴の校歌を作るとしたら、どんな曲になりますか
山田耕筰とか滝廉太郎みたいなある種の品格をどこかに保ちながら、サビあたりでポップが登場する、な感じですね。
歌詞にはやっぱり、「しまれ がんばれ ねばれ おしきれ」がどっかで出てくるかなあ(笑)
「自由に生きる」「自分らしく生きる」を中心に。そして「大事なのは平和」だということも。
長い年月を重ねると、校風も変わっていく。舞鶴魂は大事にしながら、今の時代に合わせて変えていく。温故知新ですね。
ただもう、食い下がって食い下がって、頑張ってもらいたい! それだけですね。
――相手は昨夏の甲子園にも出場した強豪です
やっぱり浦和は強いですね。
でも高校野球って最後まで何があるか分からない。自分たちが練習したことを思いっきり純粋に、頑張ってもらいたいです。
コロナにウクライナの戦争、東北では地震も。暗いニュースが続く中、純粋に白球を追う高校生の姿、真っすぐな心持ちに、今こそ希望が見えるんです。
――南さんは80~90年代、広島市内で平和コンサートを続けてきました。この戦禍をどう見ていますか
映像で、ウクライナの街の人たちが着の身着のままであの寒さの中、国境を越えていく姿を見てるとね、もう耐えられないです。
それがもし自分の暮らしてい…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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