週末になると、福岡・天神の路上に出没する謎めいたカメラマンがいる。木製の機材を三脚に据え、道行く人に「江戸時代のレンズをテスト中」とアピール。足を止めた人には無料で撮影し、写真を進呈する。なぜ、そこまでしてくれるのか。
多くの人でにぎわう週末の天神に通い始めて1年半。横浜市から福岡市へ単身赴任中の半導体関連会社員岸本陸一さん(61)は、骨董(こっとう)品クラスの愛機とともに午後になると新天町商店街かいわいに立つ。
「写真、ただで撮ってもらえるんですか」「本当に江戸時代のレンズなんですか」。恐る恐る話しかける若者や遠巻きに様子を見るカップル、積極的にカメラをのぞき込む家族連れなど反応はさまざま。多いときで1日20組ほどの写真を撮る。「結構忙しいんですよ」
おしゃべりを楽しみながらカメラの説明をし、うんちくを傾けるのはいつものこと。「いろんな人と知り合いになれるし、写真を差し上げて喜んでもらえるとうれしい。完全に趣味です。まあ、土日は暇なんですけどね」
もともと写真が好きで、特に江戸時代のレンズの変遷の研究に没頭してきた。愛用するレンズは1858(安政5)年の英国製で、約160ミリの単焦点。1人や2人のポートレートに適する。路上での撮影も、たくさん撮ることで、ばらつきのある昔のレンズの性能を調べたいと思ったのがきっかけだ。
カメラ本体は木製で、1900(明治33)年ごろにパリで作られたものを東京・代官山の骨董品店で見つけた。どちらも百年以上を生き抜き、いまも問題なく使うことができる。特にレンズは、デジタルカメラに付けて撮ることもできる。
安政5年といえば、尊皇攘夷(じょうい)運動が高まるなか、大老井伊直弼による「安政の大獄」が吹き荒れていたころ。明治維新の夜明け前であり、「ロマンをかき立てられる」という。
白黒のネガフィルムは、チェコから通販で購入している。デジカメ時代にあらがうモノクロ写真は、19世紀にタイムスリップするかのような味わいがある。
撮影のあとにメールアドレスを教え、連絡が来た人には自宅で現像した写真をデジタル化して送る。いとこと2人で撮ってもらった上川愛以(めぐみ)さん(31)は「あんな古いカメラは見るのも初めて。本当に撮れるなんてすごいし、仕上がりが楽しみです」と話していた。
岸本さんは、福岡へ引っ越す前は東京・銀座に毎週末のように出没していた。いまでもたまに、愛機を携え路上に立つ。外国人観光客が多く、カメラに興味津々でよく話しかけられる。だが、撮影後の反応は福岡の方が良い。「銀座では10人中5人くらいでしたが、ここでは8人くらい。みなさん積極的です」
いま、デイサービスで撮影してほしいという話が舞い込んでいる。岸本さんによると、写真技術の黎明(れいめい)期である1800年代半ばは、撮影の機会は限られ、撮った写真は肌身離さず持っていた。貴重な一枚は生きた証しでもあった。
多くの人の表情を収めてきた愛機で、お年寄りたちのいまをとらえることに意義を感じている。「このカメラとレンズがお役に立てれば、こんなに価値のあることはない」と気合が入る。(谷辺晃子)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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