相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で平成28年7月、入所者ら45人が殺傷された事件で、殺人罪などに問われた元職員、植松聖(さとし)被告(30)の裁判員裁判の判決公判が16日、横浜地裁(青沼潔裁判長)で開かれる。公判は2月に結審。検察側の死刑求刑に対し、弁護側は大麻使用による心神喪失状態にあったなどとして無罪を主張し、双方は法廷で鋭く対立した。公判の争点を振り返る。
■植松被告と大麻
「皆さま、長い間付き合っていただき、ありがとうございました」。黒いスーツに身を包んだ植松被告は、最終意見陳述で法廷内にいる人々に、こう朗々と述べた。初公判から結審までに開かれた公判は、16回を数えた。
植松被告の刑事責任能力の有無や程度といった争点を考える際に、大きく関わってくるのが、被告が使用し続けた大麻の影響だ。
検察側は、植松被告を精神鑑定した医師による「人格障害であるパーソナリティー障害のほか大麻使用障害、大麻中毒」との診断を、そして弁護側は別の精神科医による「大麻精神病」とする診断を基礎にして、それぞれの主張を戦わせた。
■「乱用期」と位置付け
植松被告は公判中も、大麻について「本当に素晴らしい草です」と冗舌に語るなど強い執着心を示していた。
弁護側は、植松被告が大麻を使用し始めた時期を園への就職後としている。
植松被告は25年4月から、園の常勤職員となっており、被告自身の「23、24歳ごろから大麻を吸っていた」とする供述とも一致する。使用頻度は週に4、5回、多いときは1日に数回使っていたとみられる。
植松被告はそれ以前の大学生のときに、すでに脱法ハーブに手を出すようになっていた。同級生の一人は、供述調書の中で「(被告は)大学3、4年ごろに脱法ハーブに手を出した。26年ごろに大麻を吸うようになった」と証言している。大学生のころの植松被告は、髪を染めたり体にタトゥーを入れたりするなど、外面でも大きな変化がみられた時期だ。
園への就職当初こそ「障害者はかわいい」などと言っていたという植松被告だが、次第に敵意をむき出しにした発言をするようになる。公判での友人や同級生らの証言で、そうした言動は27年から28年にかけて集中。大麻を使用し始めた時期から見ると2、3年が経過したころになる。
弁護側証人として出廷した静和会中山病院の工藤行夫院長は、この間にも大麻の使用量は増え続けたとして、27年ごろから事件までの約1年間の植松被告を、大麻の「乱用期」と位置付けた。その上で、大学時代までの植松被告の人格と比べて「明らかに不連続で異質な状態。この変化が自然に生じたとは考えられない」とした。
工藤院長による「大麻精神病」という診断は、植松被告が犯行5カ月前の28年2月に措置入院した際にも、医師の中から指摘する声が上がっていた。これらの点を踏まえ、弁護側は犯行当時の植松被告について「自らの行為の意味を真に理解していたとは思えない」「善悪を判断する能力はなかった」とし、無罪を主張している。
■検察側「恣意的」
これに対し、検察側の主張は大きく異なる。
植松被告と面談するなどした東京都立松沢病院の大沢達哉医師は、大麻について「影響がないか、影響を与えないほどに限定的だった」「大麻によって異常な発想をしたわけではない」と否定的だ。
また、植松被告の差別的な考えは、パーソナリティー障害を有する人格傾向が根底にあり、そこに障害者施設での勤務経験などが蓄積されたもので、「(論理が)病的に飛躍しているとはいえない」「犯行は、被告個人の強い考えによって行われた」と分析した。
人格についても、大麻の乱用によって急激に変化したものではないとしている。検察側は、弁護側が植松被告の人格を大学時代までと27年ごろ以降に分けている点について、「大麻使用初期の状態を考慮せずに、『不連続』との評価は恣意(しい)的」などと反論。また、凶器を複数準備するなどの犯行の計画性や、犯行後に警察署に出頭するなど違法性を認識していたことも、責任能力を肯定する根拠としている。
検察側は論告で「被告の行動は統制されており、犯行の発想から実行までの大麻使用の影響は小さかった」とし、犯行当時は完全責任能力があったと指摘。「(犯行は)卑劣で残忍、冷酷無比と言わざるを得ない」として死刑を求刑している。
■植松被告「控訴しない」
検察側と弁護側は法廷で激論を戦わせたが、植松被告自身は公判中、どこか上の空といった様子でそのやりとりを眺めていた。そして、悲嘆にくれる重度障害者の家族や遺族をよそに“最後”まで反省の色なく、差別的な持論を展開した。
植松被告は一貫して「自分には責任能力がある」と述べ、最終意見陳述では「どんな判決でも控訴はしない」と断言した。判決を前に心に去来するものは何なのだろうか。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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