1945年8月9日午前11時2分。長崎上空で炸裂(さくれつ)した、たった1発の原爆で、7万人を超える多くの命が奪われた。あれから78年の平和祈念式典。原爆の影響はいまも続いている――。被爆者代表の工藤武子さん(85)=熊本市=は亡くなった家族への思いを胸に、「平和への誓い」を読み上げた。「祈りは、次の世代に受け継がれていく」。そう信じて。
台風接近の影響で、平和公園ではなく長崎市内の屋内施設で行われた平和祈念式典。工藤さんはまっすぐに前を見据え、かみ締めるように語り始めた。
《78年前の8月9日、7歳の私は爆心地から約3キロの片淵町の自宅で母や姉、弟2人の5人で食卓を囲んでいました》
あの瞬間。稲妻が部屋中に満ちたような強烈な光に覆われた。反射的に防空壕(ごう)へ。「ガーッ」という衝撃の後、音が消えた。壕を出ると、家のガラスは全部割れ、畳が跳ね上がっていた。
家族にけがはなかった。工藤…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル