藤原慎一 新谷千布美
熊本県南部の清流・川辺川へのダム建設計画。半世紀以上前に持ち上がり、流域住民の反対を受けていったんは中止されたが、昨年7月の豪雨で再び動き出した。相次ぐ方針転換に住民が振り回されるなか、建設に向けた手続きが進む。
「私たちが費やした時間は一体何だったのかと思いますよ」。川辺川の中流に位置する五木村の前村長、和田拓也さん(74)は、首を振った。役場職員から2007年に村長に就いた和田さんの歩みは、翻弄(ほんろう)される村の歴史と重なる。
国が計画を発表したのは1966年。中心部が水没する五木村は猛反対したが、下流域の安全のためなどの理由から82年に受け入れに転じた。予定地にあった約500世帯のうち8割近くが村を去った。
67年に役場に入った和田さん。ダム計画への賛否で家族や親類が仲たがいし、分断される村を見てきた。村長就任後は、ダムを前提に高台の公園整備などを進め、傷んだ村を再びまとめようとした。だが、就任翌年の08年、蒲島郁夫知事が「白紙撤回」を表明し、09年には国が中止を決めた。
方針転換を受け、水没を免れることになった川沿いの振興に乗り出した。和田さんは川沿いの宿泊施設のオープンを見届け、19年に退任。ところが、昨年7月の記録的豪雨の後、蒲島知事はダム容認に転じた。
「方針が変わるたびに、村は…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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