眉村卓さん追悼 生きるかぎり書くことに徹した大作家 作家の玉岡かおるさん(産経新聞)

 3日に死去した作家、眉村卓さん。眉村さんとともに、本紙朝刊1面の読者投稿「朝晴れエッセー」の選考委員を務める作家の玉岡かおるさんが、追悼文を寄せた。

 眉村先生とは、十数年もの間、「夕焼けエッセー(現・朝晴れエッセー)」の選考を担当し、毎月一度、選考会でお目にかかってきた。その間、たしかに何度も体調を崩され、けっしてお元気ばかりでなかったのは事実だ。時には欠席のまま、病室から選考結果やコメントを頂戴し紙面を埋めたこともある。しかしそのつど、周囲が驚く回復力で、次の選考会には何事もなかったように「やあ」と登場なさった。そして選考後の食事では、私たちに合わせ、同じメニューを同じ量、けろりとおつきあいくださった。

 だからたとえ入院しますとご本人から聞かされても、はいお戻りをお待ちします、なんて軽く答えるのが習慣になってしまっていた。なのに今回は、もう“次”のないお別れになってしまったのか。

 言うまでもないが眉村先生は、SF少女でなかった私ですらそのお名前を知り、作品タイトルが言えるほどの大御所作家。私がデビューまもない頃にはすでに文壇の重鎮であった。

 なんといってもその博識。戦中戦後の記憶の正確さはもちろん、俳句に囲碁、柔道、漫画、科学…。先生が手薄なジャンルなど思い浮かばない。また、大作家なのに驕(おご)らず、車には乗らず電車を愛用されたのは鉄道好きであると同時に、つねに巷間(こうかん)にあって小説のネタを探そうとの姿勢だった。

 小説を書くこと、それが生きる根源であり、生きる限りは書き続ける。さらりとそうおっしゃり、まだ次の小説の構想がありますからね、と微笑(ほほえ)んでおられたから、今日もどこかで、取材用のメモ帳に小さな文字を書き込んでおられるような気がしてならない。選考会では、生意気にも私は何度も先生と意見が衝突、この場に書き尽くせないバトルを交わした。そのたび寛容に笑っていらした先生。あの思い出を糧とするのは今後の私の宿題かもしれない。何より今は心から、ご冥福をお祈りするばかりである。

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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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