看護師として向き合う臨終 自分に迫った死に激しい恐怖を抱く

僧侶 松山照紀さん

 シングルマザーになった私は平日、看護師を目指しながら病院に勤務する傍ら、休日になれば福岡のホスピスでボランティアをしたり、死生学のセミナーを受講するために上京したり。マザー・テレサが運営するインドの施設を訪ねたことも。頼るべき伴侶がいなくなった私の胸には、幼少期に芽生えた「死」へ関心がむくむくと湧き上がってくるようでした。

 高度化する医療現場に身を置き、死にゆく人に対する医療者の振る舞いにも違和感が膨らんでいきました。例えば80代の患者さんが臨終に近づくと、家族は病室を出され、医者が力いっぱい心臓マッサージを始める。病院経営という観点からは必要な処置でしたが、私は〈自分の身内にはやってほしくないし、自分が死ぬ時にも嫌。家族に手を握られて旅立たせてあげればいいのに〉と思ってしまう。しかし一看護師の立場では、どうすることもできませんでした。

 ジレンマを抱えつつ病院で働き、同居する祖母の介護も大変になりつつあった32歳の時、激しい倦怠(けんたい)感に襲われました。病院に駆け込みましたが確定診断がつかず、即入院。その後、「結核性胸膜炎」にかかっていることがわかりました。昔は「肋膜(ろくまく)炎」と呼ばれて恐れられた病気です。

 入院してしばらくは病名の診…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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