看護職から仏門へ 逝く人の枕元で「私が代わりに地獄へ行く」

僧侶 松山照紀さん

 島根県の離島の施設「なごみの里」で7年ほど高齢者の看取(みと)りを支えた私は2009年、福岡へ戻りました。看護師として3交代勤務の病院で働きながら、太宰府市の戒壇院へ足しげく通うようになりました。

 20歳で中退した大学で学び直していた37歳の時、偶然に立ち寄って、心ひかれる仏像に出会ったお寺です。早朝の読経や座禅会に熱心に参加していると、住職に「庵主(あんじゅ)さんになりなさい」と誘われるようになり、気づけば「はい」と答えていました。当時48歳。すでに娘2人も独立している。お坊さんになれば死はもちろん、死の先までかかわれるだろうな。亡くなった人にも、残された人にも。

 機が熟していたんだろうと思います。私は迷わずに出家を決めて、11年に入ってすぐ頭髪をそりました。3月11日、東日本大震災が発生。未曽有の大災害によって多くの命が失われていた15日、後ろ髪を引かれる思いで女性専門道場がある岐阜県のお寺の門をたたき、修行生活に入りました。

 私が所属する臨済宗は修行の…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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