阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で開かれている第103回全国高校野球選手権大会で、県岐阜商(岐阜市)の女子生徒だけの応援団がスタンドを盛り上げた。コロナ禍で応援機会が激減し、3年生には「最初で最後」の晴れ舞台。同校は15日の1回戦で明徳義塾(高知)にサヨナラ負けしたが、応援団員19人は一糸乱れぬ動きで、チームを鼓舞し続けた。
一塁側スタンドでは、選手の保護者や学校関係者約1千人が観戦した。新型コロナの感染防止対策で声は出せないため、学ランに身を包んだ応援団員は体全体を使った振り付けで必死にエールを送った。
「甲子園は私たちにとっても夢の舞台。(3年生には)球場で振りを披露できる最初で最後の機会だった」と第70代応援団長の若原かえでさん(3年)。昨夏の岐阜県独自大会は校内で発生したクラスターで出場を辞退。今春の選抜大会や今夏の岐阜大会はメガホンだけの応援に限られ、応援団の「華」ともいえる演舞は披露できずにいた。
この日は、試合展開やイニングごとに応援曲を変え、10曲以上の演舞を披露。吹奏楽部はフェンスを隔てたアルプス席におり、連携が取りづらいため、戦況や曲名を記したボードを使って指示を出すなど工夫をしながら応援を仕切った。
1950年創部の応援団は長い間、男子生徒だけだったが、入部希望者が減り、2009年ごろには全国でも珍しい女子生徒だけの応援団となった。男子禁制ではないが、「女子だけの応援団」に憧れて入部する女子生徒が多いという。
若原さんもその一人。1年生の夏、初めての野球応援では吹奏楽部の演奏にあわせて太鼓をたたいた。観客との一体感に興奮し、野球部員から感謝の言葉を掛けられて感激した。真剣な表情で演舞を披露し、声援を送る先輩たちの姿に「いつか私も」と思った。
だが、コロナ禍で応援する機会はほとんど失われた。「何のために応援団に入ったんだろう」。自問自答したこともあったが、かつて球場で感じたやりがいを思い出し、演舞を披露する自分の姿を想像しながら、練習に打ち込んだ。
六回表、3年生が振り付けを考えたオリジナル曲「フェスタ岐阜商」を披露した。すると、無死一塁で松野匠馬選手(3年)が適時三塁打を放ち、先取点を奪った。若原さんは「少しでも力になっていたのかなと思い、鳥肌が立った」。
チームは九回サヨナラ負け。若原さんは「最後まで必死に戦う選手の姿は格好よかった。『これだけ頑張っている人たちを応援したい』といつも思わされた。甲子園で応援する入部当初の夢がかなったし、ここまで連れてきてくれて感謝です」と話した。
野球部の高木翔斗(しょうと)主将(3年)は「甲子園でもっと戦いたかった。(応援団の)エールは届いていました」と感謝した。(佐藤瑞季)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル