真珠湾攻撃と原爆投下――。米ハワイと広島の高校生が、それぞれの地で起きた「戦争」を学び、交流を通して伝えつなぐ取り組みがある。開戦から80年以上の月日が経ち、その歴史を刻む歩みは、世代を超えて受け継がれている。
米国の学校で使われている日本語の教科書に、「原爆」の一節がある。その中で、おばあちゃんが孫に語っている。
「おじいちゃんはね、その時、米屋の店のいすに座っていたんだよ。体の右側を全部やけどしたけど、うちへ帰ってきたんだよ」
ハワイ在住のピーターソンひろみさん(75)がホノルル市のプナホウ学園で日本語教師をしていた時、同僚らと出版した教科書だ。広島の爆心地から約1・4キロで被爆した自身の父の体験を盛り込んだ。
教科書にはもう一つ、戦争の話が載る。日本軍の真珠湾攻撃があった1941年12月8日、「敵国人」として逮捕され、収容所を転々とさせられた日系人の話。こちらは、ピーターソンさんの同僚の祖父に起きた実話だ。
教科書は全米に広がるベストセラーになった。ピーターソンさんは1億円超の印税をもとに、2009年に「広島平和スカラシップ」を立ち上げた。夏にハワイから高校生2人を広島に送り、被爆者や広島の高校生と交流するものだ。「一発の爆弾が何をもたらしたのかを、実際に見て、感じてほしい」。ハワイに戻って核廃絶の署名活動を始めた生徒もいるという。
この取り組みに、新たな広がりが生まれている。きっかけは、19年に広島からハワイに一人の若者が訪ねてきたことだった。
真珠湾で感じた「異様な雰囲気」
広島の平和教育プログラムに…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル