真珠湾攻撃で魚雷放った103歳 暗闇の「銀色」に「訓練じゃない」

 「戦いに選ばれた幸せ」と「生きて帰りたい」という願い。真珠湾攻撃に参加した男性は、103歳になった今も、出撃前に心が揺れたことを覚えている。あの日から80年になるが、強く思う。「戦争をしないで、もう少し腰を据えて外交交渉をしたらよかったんじゃないかな」

 東京都足立区の吉岡政光さんは、20代で巻き込まれていった戦争を忘れることはない。

真珠湾攻撃を振り返る吉岡政光さん=2021年11月22日午後3時48分、東京都足立区、瀬戸口和秀撮影

 1941年。日本は4年前に始めた中国との戦争が泥沼化。資源を求め東南アジア攻略を目指して南部仏印(ベトナム南部)へ軍を進めると、米国は石油の全面禁輸などに踏み切り、対米交渉は行き詰まった。天皇と重臣らによる御前会議は11月5日、対米交渉が打ち切られた場合、12月初旬の開戦を決断した。

 11月下旬、千島列島の択捉(えとろふ)島にある単冠(ひとかっぷ)湾。日本海軍の空母「蒼龍(そうりゅう)」「赤城(あかぎ)」などが続々と集結していた。蒼龍の艦載機の搭乗員だった吉岡さんもその場にいた。

空母「蒼龍」に乗っていた頃の吉岡政光さん=本人提供

 これからハワイに奇襲攻撃をかける――。

 集結後まもなくのことだった。空母6隻などからなる機動部隊を率いる南雲忠一中将の訓示が読み上げられた。

 日本よりも戦力があると思っていた米国に対する攻撃に、「これは俺の死に場所だな」と思った。

 米国を憎いと思ったことはな…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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