「平和の祭典」とも言われる五輪。だが、かつてメダリストが戦場に送られた時代もあった。1932年、ロサンゼルス大会の競泳100メートル自由形で、銀メダルに輝いた河石達吾さん。日米の激戦地・硫黄島から「僕のことは案ずることは要(い)らない」と家族へ最後の手紙をしたためていた。
16日、硫黄島。東京都内の遺族を招き、都主催の戦没者追悼式が開かれた。旧日本軍の約2万1900人が亡くなり、約半数が今もここで眠る。河石達吾さんの遺骨も、見つかっていない。
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息子の達雄さん(75)はこの日の朝、兵庫県尼崎市の自宅で仏壇に氷水を供えた。硫黄島に米軍が上陸した後、旧日本軍は摺鉢山(すりばちやま)や地下壕(ごう)で抗戦し、のどの渇きに苦しんだ。だから、と毎朝続けている。
達雄さんが父の手紙の存在を知ったのは、1991年に亡くなった母・輝子さんの遺品を整理した時。たんすで偶然見つけた。
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島から届いたとみられる計6通のはがきや便箋(びんせん)には、家族への思いがびっしりと書かれていた。
出征した時、父は32歳。陸軍…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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