祖国への帰還にそなえ国語講習所 後の朝鮮学校に 語り継ぐ戦争

 1936(昭和11)年5月、名古屋市千種区で生まれた。当時の名前は、金山宗平。家には日本刀が飾られ、日本語で話した。自分が朝鮮人だと思っていなかった。父は古紙回収業を営み、僕もそれなりの身なりをしていた。

 「朝鮮の山奥で かすかにきこえる 豚の声……」

 近所の子どもがはやし立てていた。自分もいじめの対象と思っていなかった。朝鮮人は汚い、惨めな人、という意味だと思っていた。学区内に約300人が目立たぬように暮らしていたはずだ。

 日本の子どもと一緒に軍歌を歌って登校した。「大きくなったらタンク兵(戦車兵)になりたい」。そう教師に答えた。富士山をバックに戦車が走る絵が得意だった。

 父は16歳で日本に来て苦労…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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