福島の花で恩返し、五輪で「復興」から「振興」へ(日刊スポーツ)

11年に起きた東京電力福島第1原発事故後、トルコギキョウなどの花栽培に一から取り組み、花卉(かき)業界から一目置かれる存在になった。

【写真】川村博さんが育てたトルコギキョウ

福島県浪江町のNPO法人「Jin」代表川村博さん(64)。県産トルコギキョウは東京オリンピック(五輪)でメダリストに授与する副賞「ビクトリーブーケ」に使用される。五輪で「復興」に終止符を打ち、産業を盛んにする「振興」を目指す。

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寒空の下、ビニールハウスに足を踏み入れると、セネシオやストックが色鮮やかに咲き誇っていた。手掛ける花はトルコギキョウ、キンギョソウなど計6種類。全国展開する有名花店に市場を通して花を卸すなど、業界からの信頼は厚い。

東日本大震災前まで、花作りとは無縁だった。高齢者らのデイサービス施設を運営するなど、介護や福祉の仕事に従事した。被災後、福島市や南相馬市などで避難した浪江町の高齢者や障害者を支援するサポートセンターを運営。同時に被災した故郷に元気を取り戻す糸口を探った際、農業を通じた復興を思い立った。

13年4月1日、震災前まで浪江町で運営していた事業所周辺が避難指示解除準備区域に再編され、日中の立ち入りが可能に。この日から浪江町の事業所敷地内で野菜栽培を始めた。自宅は震災で住めなくなり、家族と離れ、南相馬市の借り上げアパートに単身暮らしながらだった。原発から約7キロの距離。「戻る人もいなくて農業をやる人なんていなかったけど、前に進まないから」。出荷目前の同年夏。高い放射線量が検出され、野菜は出荷できなかった。

翌14年春。出荷できなかった野菜が畑で一斉に菜の花を咲かせた。植えたチューリップも咲き、一帯が花畑に。荒れ果てた土地が続く国道沿いに突然現れた花畑に、ダンプカーを止めて運転手たちが降りてきた。「心が洗われる」と喜んだ。「ああ、花はいいなと。食べ物がダメなら花でいくしかない」。復興は花に託そうと決意した。

長野県のトルコギキョウ栽培第一人者の元に1年半通って勉強した。師匠のブランド名での出荷を許可されたが丁重に断った。「浪江からいい花を育てて、ブランド化したいからね」。花や土壌の放射線量を測定し、問題ないと確認した上で出荷。花市場関係者の助言にも素直に耳を傾けた結果、トルコギキョウは最高値を付けるようになった。

以前から、被災地の花が東京五輪のビクトリーブーケに使用されることを望んでいた。「もしも注文が来たら、いつでも最高級の花を提供できる態勢は整えています。被災地から感謝と決意を伝えられればいいね」。さらに「復興は五輪で終わり。次は産業を盛んにさせる振興じゃないと」ときっぱり言った。

五輪の先に大きな目標がある。10年に1回開催され、“花の五輪”ともいわれる国際園芸博覧会「フロリアード」トルコギキョウ部門で金賞を獲得すること。次は22年に開催される。「トルコギキョウで金メダルを取れれば恩返しだよね。福島の花で世界を驚かせたい」と意気込んだ。【近藤由美子】

○…農林水産統計によると、18年福島県トルコギキョウ出荷量は382万本で全国8位だが、東日本大震災の被災3県(福島、宮城、岩手)ではトップ。浪江町によると、同町でトルコギキョウを手掛ける農家はわずか4軒だが、同町産トルコギキョウの品質の良さは、花卉業界で広く知られている。町では、華道家の仮屋崎省吾氏(61)が各地で行う「仮屋崎省吾の世界展」の東京タワー展(3月21~29日)など全国3カ所の個展で、同町産の花材協力を行っている。

◆浪江町の現状 東京電力第1原発事故で、町民は避難を余儀なくされた。当時の人口は約2万1500人。浪江町HPによると、2月末現在、避難者数は2万262人、住民登録は約1万7200人。現在、町内に約1100人が居住する。避難先の約7割が福島県内。浪江町内は空間放射線量が低い順に<1>避難指示解除準備区域<2>居住制限区域<3>帰還困難区域が指定され、13年4月から<1>と<2>への日中の立ち入りが可能となり、17年3月末に避難指示が解除されたが、<3>は避難指示が続いている。

◆東京五輪のビクトリーブーケ 花材は東日本大震災の被災地が産地のものを主に利用する予定。オリンピックのブーケには、福島県産トルコギキョウのほか、宮城県産ヒマワリ、岩手県産リンドウ、福島県産ナルコラン、東京都産ハランを、パラリンピックのブーケには、福島県産トルコギキョウ、宮城県産バラ、岩手県産リンドウ、東京都産ハランを使用予定。ビクトリーブーケ贈呈は2大会ぶり。オリ・パラで計約5000個が用意される予定。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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