「入学式には俺が行く」と、無口な父が上機嫌だった。1971(昭和46)年の春。長崎県立大村高校(大村市)の入学式で町田知栄子さん(67)は、晴天に輝く桜並木を父と歩いた。旧制中学時代に父も通った校舎だった。
一家は大村湾に浮かぶ離島「箕島(みしま)」に住んでいた。夏はスイカ、冬は大根を育てて暮らしていた。キスにフグ、タコ。食卓に上がる魚は父が釣ってきた。
子どもの時、島にある電話は小学校に1台だけ。電気が使える時間も限られ、洗濯機も冷蔵庫も家にはなかった。共同井戸からつるべでくんだ水をタンクにためるのが日課。4人姉弟で、長姉の知栄子さんは常に家事や農作業の手伝いに追われていた。暑くて作業できない真夏、親の昼寝中に、桟橋から飛び込んで遊んだ。
知栄子さんは中学校に通うため、船に乗る20分も勉強時間にあてていた。早朝から授業がある普通科に通うため、おばの家に下宿して高校に通うことになった。
高度成長期を迎え、島に空港…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル