大好きだった母は、私を産む前にどんな日々を過ごしていたのだろうか――。第29回林忠彦賞に選ばれた現代美術家、笠木絵津子さん(67)=千葉市=の写真集「私の知らない母」は、「空白の時代」を埋める長い旅を経て誕生した異色のフォトコラージュだ。
「このシリーズは、母の死をきっかけに自分の存在を探る旅として始まるが、アジアの歴史に翻弄(ほんろう)される家族の物語として終わる」。写真集の「あとがき」で笠木さんはこう記した。
母久子さんが亡くなったのは1998年。大切な人を失った喪失感に苦しむ日々が続いた。自分は彼女のことをどれだけ知っていたのだろう。母の話を聞こうと訪ねた伯母(おば)の家で、祖父が残した古いアルバムと出会う。100枚ほどの家族写真が貼られていた。
新潟の寒村に生まれた祖父は東京高等師範学校を卒業。日本統治下の朝鮮へと渡り、教師として働いた。その官舎で母が生まれたのは1924年。2歳になると台湾へ移り、旧満州で敗戦を迎えた。
パソコン上で、モノクロ写真の…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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