「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は07年2月4日付のものです。
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満州事変から三カ月後の一九三一年十二月二十四日朝、山頭火は熊本県山鹿市の宿を出立し、福岡県境の峠を目指していた。
菅笠(すげがさ)をかぶり、色あせた黒染めの法衣をまとっている。ずだ袋には大学ノートと万年筆をしのばせている。宿から峠まで十六キロ。途中、門前や往来で経を唱え、米や金銭の施しを受けながらの上り道だから、峠を越えたのは日差しが傾き始めた午後だろう。夜には雪が降り、辺りを白く染めた。
うしろすがたのしぐれてゆくか
山頭火の作で最も有名なこの句は、峠を下ってたどりついた福岡県八女市で作られている。日記に、この日のことを次のように記している。
〈昨夜は雪だつた、山の雪がきらきら光つて旅人を寂しがらせる、思ひだしたように霙(みぞれ)が降る〉
四十九歳。四度目となる放浪の途上だった。
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山頭火は旅路の出来事を大学ノートに記し、一冊書き上げるごとに、生涯の支援者で親友だった福岡県柳川市出身の医師木村緑平(一八八八-一九六八)のもとに送っている。最初の日付は一九三〇年九月九日、熊本県八代市。「行乞記(ぎょうこつき)」と名付け、次のような文で始まる。 本文:2,349文字 写真:1枚
Source : 国内 – Yahoo!ニュース