空っぽの通帳、妻は去り…コスプレが救った人生(西日本新聞)

 水色の髪、ブルーのミニスカ、ニーハイのブーツ姿でポーズを決める。一見女性のようだが、福岡市のコスプレーヤー信司(46)=仮名=が女装した姿だ。「アニメキャラクターを依(よ)り代(しろ)にして、自分から切り離される。変身願望のようなもの」と醍醐味(だいごみ)を語る。 「エロは絶対につぶれない」18禁自販機、盛衰と共に…51歳見届け人  九州の「オタクの聖地」、福岡市・北天神でコスプレショップを経営する。店内にはアニメやゲームのキャラになりきれる衣装の中古品が約600点に、ウィッグ(かつら)も並ぶ。客の多くは10~20代の女性。数回着て撮影し、すぐに売りにくる。買い取った衣装はまた別の客へ。年間売り上げは2千万円に上る。  この商売を支えているのは、若者たちの承認欲求だ。撮った写真は画像加工アプリで目を大きくしたり、くびれをつけたりして、会員制交流サイト(SNS)に投稿する。「着るだけで満足する人は少ない。やっぱりみんなから『いいね』をもらって褒められたい」

勘違いが始まり

 勘違いが始まりだった。東京の大学に通っていた1996年、雑誌で目にした女性キャラのコスプレ姿に「男でも女性のコスプレをしていいんだ」と感激した。実は男ではなく女の人が着ていたのだが、思い込みが変身願望を目覚めさせた。コスプレ衣装の専門店もない時代。家庭科の授業でエプロンを作る程度のつたない手先だったが、凝った衣装は作りがいがあった。初のキャラはゲーム「ザ・キング・オブ・ファイターズ」の不知火舞。イベントで披露すると、同じキャラ姿の女性に次々声を掛けられた。「長年友達がいなくてコンプレックスだったのに、すぐに仲間が増えた」  ただ、信司のような女装はイベント主催者に歓迎されなかった。女装禁止のイベントが増え、仲間と野外でコスプレを楽しむようになった。

「東京から逃げたかった」

 熱を上げすぎて、勤めるIT会社には昼から出社。関連会社に出向し、生活も荒れた。「コスプレは現実逃避でもある。東京から逃げたかった」。2000年、福岡に帰郷し、バイトや派遣の仕事を転々とした。結婚はしたものの、空っぽの通帳を見せた数日後、妻は去っていった。  そんな信司を趣味が救った。09年、コスプレ写真を載せたホームページに衣装制作の依頼が届き始めた。12年、ついに店を構えた。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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