空襲から一緒に逃げたぬいぐるみ 黒柳徹子さんのパンダ愛と深い歴史

取材・構成 本間ほのみ

 日本で最初にできた動物園、東京・上野動物園は20日、開園140年を迎える。今年は、日中国交正常化の象徴としてジャイアントパンダがやってきてから50年の節目でもある。日本パンダ保護協会名誉会長の黒柳徹子さんに、パンダと上野動物園の思い出について書面でインタビューした。

 ――黒柳さんとパンダの『出会い』は、6歳くらいの時だったそうですね。

 おじから、アメリカのお土産にパンダのぬいぐるみをもらいました。何よりも大切にしていたくらいで、いつも抱いていました。戦争中も常にリュックにしまって、背負って空襲の中を逃げていました。

 パンダの魅力は、まん丸くて、どこから見ても可愛いところ。中国のものなので、なかなか中国にも行けず、1968年、わざわざロンドンの動物園まで見に行きました。

 ――パンダが上野に初めてやって来たのは1972年です。中国からオスのカンカンとメスのランランが寄贈されました。

 パンダが日本に来るなんて、夢のように思いました。初めて見た時、カンカンは子どもっぽく、ランランは少しお姉さんのようで、はっきりと個性がわかって興奮しました。

 ――パンダがやってきて今年10月で50年。3月20日には、上野動物園が開園140周年を迎えます。

 上野動物園は子どものときから憧れの場所でしたが、パンダが来てからは、私の最も大切な、親しみのある場所になりました。特にパンダ課長の中川志郎さん(※カンカンとランランが来園した時の飼育課長で、パンダ課長の愛称で親しまれた。1987~90年に園長を務めた)と親しくさせていただいてから、上野はかけがえのない場所になりました。(取材・構成 本間ほのみ)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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