能登半島地震の発生から約124時間後、石川県珠洲市の倒壊した家屋から高齢女性が救出された。そこに立ち会った医師の稲葉基高さんは、NGOピースウィンズ・ジャパンの「空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”」プロジェクトリーダーとして現地に赴いていた。国内外の災害現場で支援にあたってきた稲葉さんに、能登半島地震で見えた災害支援の課題を聞いた。
――能登半島地震の被災地では、どのような活動をしましたか。
「ピースウィンズ・ジャパンは、国内外の災害被災地や紛争地で人道支援にあたる国際NGOです。私はその一員として、1月2日から石川県珠洲市で活動しました。避難所のトイレを清掃したり、臨時診療所を立ち上げて診察をしたり、自宅にいる人を訪問診療したりしました。13日にいったん被災地を出ています」
――6日に、警視庁や消防の救助隊とともに倒壊家屋から高齢女性を救出しました。
「体を長時間圧迫された状態から解放された際に起きる(腎不全やショック症状を引き起こす)クラッシュ症候群にならないよう、点滴で水分と栄養を補給しながらの救出でした。警察、消防、私たちのような医療関係者は、災害が起きるかどうかわからない時から救助の訓練をしています。連携して救助できたのはその成果だと思います」
――医療関係者間の連携はどうでしたか。
「これまでの災害の反省を踏まえて協力体制がかなり改善したと思います。DMAT(災害派遣医療チーム)や日本赤十字社、私たちのようなNGOの協力です」
「過去の災害の被災地では、特に発生後2~3日の超急性期は、官と民の協働が難しいことがありました。けれども昨年の政府主催の訓練では、ピースウィンズ・ジャパンが所有する災害用のヘリや船も動かし、その船をDMATと一緒に活用する模擬訓練をしました。民間との協働に対して、官のアレルギーが少なくなってきたと思います。NGOで働きながらDMATの研修講師もしている私のような人間が架け橋になって、官民それぞれの強いところを生かし、弱いところを補い合えればいいと思っています」
「ヘリコプターの運用も、これまでは行政や支援者間の縦割りの中でなかなか協力ができなかったのですが、今回は有機的に協働できました。転院患者が20人いるとしたら、自衛隊のヘリ、ドクターヘリ、民間ヘリで分担して搬送することができました」
職員はむちゃくちゃがんばっている
――被災地への地理的なアクセスが困難な中、ヘリが活躍しました。今後も山間部で災害が起きることを想定するなら、ヘリがもっと必要なのでしょうか。
「自衛隊や海上保安庁、消防、警察、民間が所有しているものを合わせれば、日本の広さに対して、ヘリ自体はたくさんあります。航空業界のパイロット不足は深刻ですが」
「問題は、今あるヘリをどう運用するかです。出動の要請があれば自衛隊も消防も動けるのですが、市町村の現場で動く人が、どこでどんな支援をして欲しいか、状況を把握して声を上げる必要があります。被災して市町村の機能がまひすると、いくらヘリがあってもうまく使えないのです」
――被災自治体はどのような状況でしょうか。
「能登半島はもともと自治体の規模が小さい上に、被災により登庁できる職員が少ない。職員自身が被災しながら、重要な意思決定や国・県との折衝、支援物資の配布など実務を担っています。突然『被災自治体』を運営する立場になるわけですから、うまくできないのが当たり前です。でも市の職員はみなさんむちゃくちゃがんばっていました。ずっと寝ずに、熱が出て倒れて隔離されても、そのまま指示を出し続けて。被災者に非常に負荷がかかっているのです」
「医療では、阪神・淡路大震災の教訓でDMATができ、官民の協働も進んできましたが、他の領域は相変わらず地元市町村任せだと感じます。もちろん近隣県の職員の応援はありますが、さまざまな決定をするのは地元職員です」
――今回、特に自治体への負荷の大きさを感じたということでしょうか。
「これまでの大災害と比べても、困難が浮き彫りになりました。熊本地震の被災地と比べても市や町の職員の数が少ないなど、リソースが少ない地域です。一方で、高齢の要支援者が多く、地理的・気候的にも困難な点が多い。少ないリソースのところに多大な負荷がかかっています。日本の70%は中山間地域であり、大都市以外の災害は今後はこういうパターンが増えていくでしょう」
災害対応にはパターンがある
――負荷はたとえばどのようなところに表れますか。
「国や県などから復旧のため…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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