みんな、斜め上を見ている。時折スマホをのぞきながらも、右へ左へと目線を動かしている。
東京・原宿の竹下通り。仲間たちと音楽に合わせて踊り歩くたび、久恒亜由美さん(36)は思う。
芸能事務所からスカウトされたい、雑誌のスナップで声を掛けられたい、面白いことは起きないか、この通りで何かをつかんで帰りたい――。JR原宿駅から延びる全長350メートルほどの通りは、世界からやってきた人々の期待にあふれ、「メラメラ」している。
久恒さんをこの場所に引き寄せたのも、その力だ。
10代を福岡市で過ごした。中学時代はストリートファッションが盛り上がっていた頃。ピンクなど派手な色使いに、過多なアクセサリー使い。雑誌をめくっては、上京を夢見た。「刺激的な東京で何か表現したい」。その目的地が、竹下通りだった。
「福岡じゃだめなのか」という親の反対を押し切り、高校卒業後、新宿にある文化服装学院の夜間部に進学。昼間は原宿駅近くの中華料理店でアルバイトを始めた。山手線沿線に住み、東京のど真ん中を回遊する憧れの生活。そのはずが、心は満たされない。
なぜか自分は読者モデルにスカウトされない。学校でも劣等生ぎみ。あれだけ好きだったファッションに向き合えていない実感もあった。就職はせずにアルバイトで生計を立てつつ、立体造形やバンドなどの創作活動に精を出していた。竹下通りは次第に遠のいた。
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1980年代、原宿界隈(かいわい)でラジカセから流れる音楽に合わせて踊る若者たちが話題になった。その名も「竹の子族」。通りの中腹にある「ブティック竹の子」が、その名の由来だ。
オーナーの大竹竹則さん(69…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル