京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」(本社・京都府宇治市)第1スタジオの放火殺人事件で犠牲となった笠間結(ゆ)花(か)さん(22)。学生のころからひたむきにアニメ制作に打ち込み、今春に長年の夢をかなえて同社に入社したばかりだった。「涙も出ない…」。大学の恩師は、事件から3週間あまりたった今も教え子の死を受け入れられずにいる。
「彼女の笑っているところも泣いているところも、一通り見てきた。印象に残る生徒でした」。大阪成蹊大芸術学部長の糸(いと)曽(そ)賢(けん)志(じ)教授(41)は振り返る。
出会いは笠間さんが高校2年のとき。糸曽さんが隣接する同大学の付属高でアニメの講義を行った後、授業を受けた笠間さんが大学に訪ねてきた。
「先生、いますか」。勢いよく研究室のドアを開け、将来の夢を尋ねられるとはっきりと語った。「アニメーターになりたいんです」。以来、高校の授業が終わると研究室を訪れた。明るい性格でクラスでもムードメーカー的な存在だった笠間さんは、同級生を連れてくるようになり、研究室はにぎやかになった。
大学では、糸曽さんが主任を務めていた同学部のアニメーション・キャラクターデザインコースを専攻。遅くまで教室に残り、作品と向き合う姿が印象的だった。笠間さんはキャラクターの動作の描き方にこだわりが強く、丁寧な作画に定評がある京アニはあこがれの会社だった。
入社後、映画「Free!-Road to the World-夢」で担当した動画が初めて映像化された際は、糸曽さんのもとに無料通信アプリ「LINE(ライン)」で手がけた画像が送られてきた。
7月18日。第1スタジオの火災を知った糸曽さんは、安否を気づかい、LINEで《落ち着いたら連絡をください》と送信した。だが、いつまでたっても既読がつかなかった。
「思い出をありがとう」。同月28日の告別式で、糸曽さんは教え子にこう別れを告げた。おしゃべりな笠間さんと面談すると、いつも長引いた。リーダー役を務めた制作展では、他の学生を思うようにまとめられず涙を見せたこともあった。
式場に並べられた作品には、一つ一つに彼女との思い出が詰まっていた。糸曽さんは、いまだに笠間さんがいなくなった実感がない。あの日送ったLINEのメッセージに既読がつかないか、時折見てしまう。
「また『先生、こんな作品を描いたよ』とメッセージが送られてくるような気がするんです」
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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