1954年に米国が太平洋・ビキニ環礁で行った水爆実験で被曝(ひばく)した静岡のマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員で、核廃絶を訴える証言活動をしていた大石又七さんが7日に亡くなっていたことがわかった。死因は誤嚥(ごえん)性肺炎で、87歳だった。
被曝の体験や苦しみを1983年から証言し続け、講演回数は700回を超えた。福竜丸を知ってほしいと模型船を8隻つくり、広島平和記念資料館(広島市)や長崎原爆資料館(長崎市)、マーシャル諸島などに寄贈している。
2012年に脳出血で倒れ、リハビリにより復帰するも、骨折などで入退院を繰り返していた。19年に神奈川県三浦市の介護施設に入り、車椅子で講演活動を続けていた。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル