海沿いの公園に数万人が集い、日米政府を動かした県民大会が25年前の10月21日、沖縄であった。そのころから、地元の女性たちが作り始めた、年表しか書かれていない冊子があり、今も版を重ねている。作成にかかわってきた一人は、自責の念を込めるようにして「とっくに完結していなければいけなかった」と言う。
冊子の第12版(2016年発行)を開くと全28ページのうち、凡例と出典を除く26ページが年表で埋まっている。
[避難民の中から女性が数人に拉致 1945年4月](町史)
[2人の子どものいる女性、自宅近くの井戸で洗濯しているところを強姦(ごうかん)。男児出産 46年](証言)
年表は、太平洋戦争末期の沖縄戦の始まりから記され、戦後の米軍統治下、72年の本土復帰後へと続く。
[帰宅途中の27歳女性、側溝に落とされて4人に強姦される 51年9月2日](公文書)
[海水浴に来ていた2人の女子中学生を石で殴って気絶させ強姦 75年4月19日](新聞記事)
[高校生が学校の帰途、公園内で強姦 84年10月](証言)
これらは沖縄で起きた米兵らによる女性への性犯罪だ。米軍統治下でまともに裁かれなかったり、事件化されず、被害者が何年も後に証言したりといったものも含まれる。12版には約350件が掲載されている。
冊子「沖縄・米兵による女性への性犯罪」を作成しているのは市民団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(那覇市)。95年、県民大会のきっかけになった米兵による少女暴行事件直後に会を立ち上げた。
共同代表の高里鈴代さん(80)は当時、国内外のメディアから相次いで取材を受けた。決まって「米兵が沖縄で起こす女性への犯罪はいつ、どれだけあるのか」と聞かれた。女性相談員の経験から、訴えられず公にならない被害が何件もあることを知っていた。でも、実態を示す資料がなかった。
思い立ったのが年表作りだった。まもなく開催された県民大会で、途切れることのない人波を目にし、多くの県民にも、報道されることのない事件も含め、被害が繰り返されてきたとの実感があるとも感じた。
「もしかしたら私だったかもしれない」
96年2月、新聞記事をかき集め、7ページの冊子に年表をまとめた。基地被害を告発するために渡った米国で、英訳した年表を手に涙する人がいた。沖縄では「年表を見た。私の被害のことも残してほしい」と電話をもらった。証言を聞きとり、年表に書き足した。
米公文書、米軍統治下の琉球政…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル