米軍の飛行機部品使い兄は弁当箱を 統治下でチャンプルーは広がった

 沖縄の日本復帰から5月15日で50年。復帰前、米軍統治下の暮らしはどのようなものだったのか。那覇市の琉球料理研究家、松本嘉代子さん(83)に聞きました。

 沖縄戦で、町は戦場となりました。壊滅的な打撃を被り、焼け野原が広がっていました。

 10坪ほどの小さな畑でジャガイモなどを育てましたが、それだけでは食料はとても足りません。

 命綱は、週に何回かある米軍の配給。缶詰や粉ミルクなどが地域の集会所に届くのですが、それで飢えをしのぐ日々です。

【特集】沖縄を語る、沖縄から考える

2022年5月15日、わたしたちは沖縄の日本復帰から50年を迎えます。さまざまな人に聞きました。あなたにとって沖縄とは。沖縄を通じて思い、考える意味とは。

 トラックで近くを通った米軍の兵士に、子どもたちが「ギブミー」と叫ぶと、よくお菓子を投げてくれました。中には手製の日本人形を渡し、食べ物と交換していた主婦も。配給や物々交換で暮らしが成り立っている時代でした。

飛行機の部品から兄がつくってくれたのは

 ジュラルミン製の飛行機の部…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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