太平洋戦争が終わる半月ほど前、旧日本軍の潜水艦「伊58」は米国の巡洋艦インディアナポリスを撃沈した。大戦果に、ある乗組員は当時大喜びした。しかし戦後、憎しみが憎しみを呼び起こしていたこと、想像以上に多くの人が犠牲になったことを知り、複雑な思いを抱くようになった。
「インディアナポリス撃沈」。清積勲四郎さん(92)=愛媛県松前町=の自宅の客間には、そう大きく書かれた皿が飾られている。知人が作ってくれた皿だという。自宅にはインディアナポリスの悲劇を描いた映画のDVDや雑誌のコピーなども取ってあった。
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愛媛県の出身で、15歳で海軍に。山口県にあった潜水艦の乗組員を養成する学校を卒業し、1945年2月、潜水艦の伊58に配属された。16歳。上官の指示に従って働く従兵だった。
伊58は沖縄へ向かったのち、広島県呉市の母港に戻り、7月にフィリピン方面へ。29日夜、黒い艦影を捉えた。清積さんは潜水艦の浮き沈みを調整する先輩兵のそばで、じっと指示を待った。
魚雷発射後、伝声管を通じて「命中」と聞こえた。「やった」。心の中で思った。
前日も敵の大型油槽船と駆逐艦を見つけていた。搭載していた人間魚雷「回天」が出撃し、2人が犠牲になった。
今回は日本側の犠牲はなく、しかも大型の軍艦。赤飯でお祝いしたという。
「回天の時は、ニコニコできないわけよね。インディアナポリスを沈めた時は万歳だよね」
日本に戻ったのは終戦後。そこで敗戦を知った。
毎年、伊58の戦友会が全国…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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