紀州徳川家の殿様料理 400年経て元証券マンらが再現

 紀州徳川家の殿様献上料理が400年の歳月を経て再現された。お造りや酢の物、お吸い物など驚くほど現代の和食と共通点が多く、当時の食文化の豊かさが感じられる。3月から和歌山市の料亭のメニューに加わった料理の再現には、郷里で店や地域を守る3人の半生が込められていた。

拡大する紀伊徳川家の菩提(ぼだい)寺である長保寺を訪れ、初代藩主が400年前に食べただろう料理をおそなえする西廣真治さん

 和歌山から南に七つ目の、小さな駅から30分ほど歩くと、創建1千年を超える長保寺がある。国宝の本堂や多宝塔、大門がある寺域の裏山には1万坪もの墓地が広がる。うっそうとした木々に囲まれたそこは、紀伊徳川家の歴代藩主と奥方の霊がまつられている。初代藩主頼宣は山に囲まれた要害堅固のこの地を菩提(ぼだい)寺に定めた。いざというときの陣地にするつもりだったらしい。

 和歌山市の料亭「ちひろ」の西廣真治社長(50)は3月5日、大きな岡持ちを持った料理長を連れて寺を参拝した。瑞樹正哲(たまきせいてつ)住職(66)が出迎えた。「ふだんはめったに通さないのですが」。住職が案内したのは藩祖の位牌(いはい)をまつる「御霊殿」だった。

 西廣さんはこの日、頼宣が伊勢に鷹(たか)狩りに行った際に食べた献上料理を再現して持参した。料理長が岡持ちから取り出し、霊前にお供えする。タイやマグロの刺し身、ヒラメにキクラゲの膾(なます)、蒸したマダイ、焼いたホタテなど10皿。それにお吸い物とタコのご飯がつく。400年前の献立だが、洗練された盛りつけといい、上品な味つけといい、現代の高級和食と寸分違わない。

拡大する刺し身や貝の焼きもの、タイを蒸したものなど今の日本の和食と驚くほど似ている。これにご飯とお吸い物がつく。400年前に藩主に供された料理の全体の5分の1程度にすぎないというが、55歳の記者はこれでも満腹になる

 だが「いえ、いえ」と料理長は言う。「どれもこれも、ふだん店で出す料理の2倍の手数がかかります」。魚も野菜も塩も土地の品を使い、しょうゆが普及する以前に広く使われていたという「いり酒」(梅干しを日本酒で煮だしたもの)も調味料として使った。西廣さんがあえてそんな手間がかかる料理を出すことにしたのは、コロナ禍で沈む観光地や飲食街に「少しでも話題を」と思ったからだった。そして店で本格的に売り出す前に藩祖の仏前に献納したのだった。

 いまは、こうして和歌山の活性化に情熱を傾ける西廣さんだが、店を継いだ当初は「和歌山を逃げ出したくてたまらなかった」と言う。

■「どうせ、坊ちゃんに料理…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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