終のすみかを追われた90歳 東京五輪に「恨みはない」けれど…

 21日午前6時。国立競技場のコンコースに、強い日差しが降り注ぐ。

 菊池浩一さん(90)は左腕だけで自転車を操り、やってきた。ここで20人近い仲間たちと太極拳とラジオ体操をするのが30年来の日課だ。

 以前は神宮球場の敷地内で集まった。東京五輪の開催が近づいて立ち入り禁止区域が広がるたび、神宮外苑の絵画館、信濃町駅そば、と転々とした。

 昨年9月にパラリンピックが終わってしばらくすると、国立競技場のかいわいはすっかり平穏を取り戻した。昨夏は近寄ることもできなかったこの場所を、いまは拝借している。

 ラジオ体操が終わると、近くのコンビニエンスストアのイートインコーナーに場所を移す。100円のコーヒーを買い、みんなで朝ごはん。最近の話題は、もっぱら神宮外苑の樹木の伐採計画。「困った話だよ」と眉をひそめる。

今年卒寿を迎えた菊池さんの老後の日々を翻弄した東京五輪から1年。平穏を取り戻した街で、どんな暮らしを送り、いまなにを思うのか聞きました。

 菊池さんは旧満州の大連で生まれた。幼い頃に引き揚げ、熊本で育った。地元の建設会社で働いていた23歳の頃、現場のモーターのベルトに巻き込まれ、右肩から先を失った。

他人に無関心な東京、居心地がよかった

 長い療養を終えると、勤め先から「お金は出すから、利き腕がなくても仕事に就けるように好きな専門学校に通いなさい」と言われ、上京した。

 経理を学んだが、気持ちは腐ったまま。線路の上に横たわったこともあった。

 一度は九州に戻ったが、右腕のない自分に向けられる視線がつらかった。

 「あいつはもうだめだ」…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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