終戦の前日から当日未明にかけて、激しい空襲が日本各地を襲いました。玉音放送が流れる当日まで、なぜ空襲は続いたのか。「空襲・戦災を記録する会」の工藤洋三事務局長(73)に聞きました。
――終戦当日まで空襲があったのですか。
1945年8月14~15日未明、米軍による空襲がありました。B29爆撃機825機を含む計1千機以上が、日本各地を爆撃しました。太平洋戦争の空襲の中で、最多の出撃機数とみられます。
――どこが爆撃されたのでしょうか。
大阪市の大阪砲兵工廠(こうしょう)や京橋駅、秋田市土崎、群馬県伊勢崎市、埼玉県熊谷市、山口県岩国、光両市などが爆撃され、多くの犠牲者が出ました。小規模な爆撃まで含めると、国内約30地点が空襲を受けました。犠牲者数は諸説あり、定かではありません。
――終戦の前日や当日なのに、なぜ空襲の必要があったのでしょうか。
日本の「ポツダム宣言」の受…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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