奈良山雅俊
77年前の終戦直後に旧ソ連軍の侵攻を受け、樺太(現サハリン)で自ら命を絶った女性電話交換手9人らを悼む60回目の平和祈念祭が、「命日」となる20日に北海道稚内市で営まれた。
当時の樺太では無条件降伏を告げる15日の玉音放送後も戦闘が続いた。旧ソ連軍による南樺太(当時の日本領)への侵攻は激しさを増し、20日朝には西岸の真岡沖から艦砲射撃が始まった。陵辱を恐れ、青酸カリなどを用いて自決した真岡郵便局の女性たちは「九人の乙女」と呼ばれる。
コロナ禍で縮小開催となり、日本郵政やNTT東日本などの関係者や市民が参列する中、九人の乙女の遺影の近くに用意された席に元同僚や遺族の姿はなかった。そんな中、今年も9年前に他界した元同僚の金川一枝さんの次女で歌手の中間真永さんが参加した。
中間さんは主宰する愛宕劇団(札幌市)で、真岡郵便局の悲劇を伝える舞台活動を続ける。今回は小樽市での公演「九人の乙女~氷雪の門」を終えて駆けつけた。祭壇横のスクリーンに舞台の様子の写真が次々と映し出される中、劇団員4人が朗読で悲劇を伝えた。
最後に自ら作詞作曲した「命火」を歌った中間さんは「母と同僚だった人たちがおらず寂しい。樺太の人たちにとって終戦は15日ではない。無念の死を遂げた人たちがいた事実をしっかり若い人たちに伝えていきたい」と語った。(奈良山雅俊)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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