経験超えた2度目の被災 19人が犠牲、リーダーが刻んだ教訓と責務

 激しい濁流が地区を襲い、住民の命を奪ったあの日から、6年がたった。

 復旧工事が進む福岡県朝倉市の松末(ますえ)地区で5日、伊藤睦人(むつと)さん(78)はそっと目をふせた。

 「あなた方の死を無駄にはしない。再生に向けて頑張るから見守って下さい」

 そう心の中で唱えた。

 伊藤さんは教員を退職した後の2012年、松末地区のコミュニティ協議会の会長になり、住民たちのまとめ役を担ってきた。

 その夏、福岡、大分、熊本の3県で30人が亡くなる豪雨災害が起きた。

 大分県境に近い松末でも山が崩れ、集落が孤立。「一生に一度あるかないかの災害」と言われた。

 その後は、災害発生時に支援が必要な住民や危険な場所を整理し、避難訓練を重ねた。

 小学校の運動会で「担架リレー」を住民種目とし、毛布と棒で人を運ぶ練習もした。

 「これで大丈夫と思っとった。まさかあれより大きいのがくるとは」

ドアを破ってきた濁流、家や車も流された

 17年7月5日は昼から土砂…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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