聴覚障害者が身近にいない環境で育った人は、「聴こえない世界」をどう感じるのか。
耳の聴こえない両親を持つCODA(コーダ)のライター・五十嵐大さんが、難聴の診断を受けた赤ちゃんを育てる男性の思いを聞き、ハフポスト日本版に寄稿した。
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耳の聴こえない両親に育てられたぼくにとって、小さい頃から「聴こえない世界」はすごく身近なものだった。苦労はしたものの、手話でコミュニケーションが図れたし、両親の表情は人一倍豊かで、家庭内はいつも賑やかだった。
だからこそ、耳の聴こえない親を持つCODAのぼくからすれば、「聴こえる世界」と「聴こえない世界」の境界線は、ひどく曖昧なものだった。
ぼくは「聴こえる世界」の住人でもあると同時に、「聴こえない世界」の住人でもある。その感覚は、大人になったいまでも残っている。
たとえば、難聴の友人たちと遊んでいるときは、手話がその場での第一言語になる。そんなとき、ぼくはうっかり声を出すことを忘れてしまう。「五十嵐くん、誰よりも聴覚障害者みたいだね」といじられることもある。その瞬間、不思議と居心地のよさを感じる。
逆に、耳の聴こえる聴者と一緒にいるときにひどく疲れてしまうこともある。言葉どおり伝わらないこともある。声の高低やスピードなどによる細かなニュアンスも情報となって、こちらが意図していないコミュニケーション上の齟齬が生まれてしまうからだ。
手話だったら、もっとストレートに想いをぶつけられるのに……。
ぼくはやはり、CODAであることを実感する。
このように、ぼくは「聴こえる世界」と「聴こえない世界」を行ったり来たりしながら生きてきた。境界線は曖昧で、ふたつの世界は混ざり合っているのだ。
だからこそ、身近に聴覚障害者がいない(あるいは気づかない)環境で育った人にとって、「聴こえない世界」がどう感じられるのかが知りたいと思うようになった。
彼らが初めて「聴こえない世界」と直面したとき、一体どのような感情を覚えるのだろう、と。
そんなとき、ひとつのnoteに出会った――。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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