育児は「地獄のような自宅軟禁」 難病の娘の母が作った悩みの語り場

 埼玉県草加市の野口由樹さん(32)が、認知症の祖母の病院への付き添いや食事の手伝いを始めたのは、高校2年生のときだった。同居する父は仕事で留守がち。小中学生の弟と妹は祖母の症状がよく理解できず、祖母と接しなくなった。ケアをするのは自分と母の役割になった。

 「もう少し関わってよ」「あれだけおばあちゃんに遊んでもらったのに、なんで離れちゃうの」

 家庭内の負担の違いに不満が爆発し、父に怒りをぶつけたこともあったが、それがかえって悲しくなった。

 友人の家族の話を聞くと、「なんで自分の家族だけこうなんだろう」と思った。祖母をケアしている生活を友人に打ち明けることができず、次第に友人と距離を置くようになった。大学受験が終わっても、勉強を続けた自分の部屋にこもりがちになった。食事もままならなくなり、体調を崩した。進学先の大学は2年生でやめた。

似た境遇の人と出会えていたら

 家族や友達と話したいけど話せない、自分なんて生きていても仕方ない――。

 祖母をみとったのは27歳のとき。介護職員として高齢者施設で働いていた。約10年にわたりケアを続けたが、症状が重くなったために続けることができず、亡くなる1年前に祖母をグループホームに入所させていた。

 そのころ、「ヤングケアラー」という言葉を知った。自分より若い人が、友人や周りの大人に家族や介護のことを話したいけど話せないという悩みを抱えていることを知った。かつての自分と重なった。

 もし、似た境遇の人と出会えていたら、少しは気持ちを打ち明けられたかもしれない。ならば、「自分がほしかった場所を作ろう」。今年8月、ヤングケアラーやその家族が月に1度、オンラインで相談できる場を立ち上げた。

 野口さんは言う。「ケアは家族関係の問題でもある。家族全員が協力しあって介護できる家庭ばかりではないので、家族全体を支援できる仕組みをつくるのが理想だと思います」

「1週間が1カ月に感じる」 孤立に危機感

 重い病気や障害でケアが必要な子どもがいる家族が抱える悩みを分かち合う。そんな取り組みを続ける団体の一つ、アトリエ「ニモカカクラブ」が埼玉県飯能市にある。立ち上げたのは、和田芽衣さん(38)。

 長女の結希さん(10)は生後8カ月でてんかんの発作が起き、全身に腫瘍(しゅよう)ができたり、知的障害をおこしたりする「結節性硬化症」の診断を受けた。育児は「1週間が1カ月に感じる、地獄のような自宅軟禁」だった。頼れる人がすぐ近くにいなければ、家族は孤立してしまう。危機感を覚えた。

 アトリエは、病気や障害のある子どもの進学などについて、親たちに正しい知識を身につけてもらおうと取り組む。さらに、親の代わりに子どもの世話をする「ヤングケアラー」になる可能性があるきょうだいにも思いをめぐらせる。親が病気になったり、亡くなったりした後にどうケアを分担するか。そのときの生活費の確保や、誰がケアの意思決定を担うのかといったことも考える。

 頼りになる人が近くにいるに越したことはない。和田さんは「スープの冷めない距離で、お互いの家族の顔が見えることが大切だ」と話す。

一人じゃない 気持ちを楽に

 親が病気になってしまったとき、ケアが必要となったとき、自分はどうしたらいいのだろう。

 病気や依存症を抱える親と暮らす子どもや、その世話をするヤングケアラーの悩みに、NPO法人「ぷるすあるは」(さいたま市中央区)が絵本でこたえている。すぐに相談できる大人がいなくても、絵本を読んで気持ちを楽にしたり、相談先を知ってもらったりするのが狙いだ。

 看護師の細尾ちあきさんがイラストとストーリーを、法人代表で精神保健指定医の北野陽子さんが子どもの気持ちに寄り添った解説を担当した。2012年に初めて手がけた絵本は、うつ病になった親を、自分のせいかもしれないと責める子どもの気持ちを晴らしてあげる内容となっている。

 自身もヤングケアラーだった細尾さんは「大人であれば、相談先と解決できるかどうかといった見通しが立つが、子どもにはそれがわからない。自分の家のことを何からどう話せばいいのかと、まず説明することさえ難しい。絵本を自分の好きなタイミングで読んで、一人じゃないんだと気づいたり、誰かに話してみたりすることのきっかけになれば」と話す。(川野由起)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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