広島県呉市の渡辺静枝さん(77)は被爆時に妊娠していた女性から生まれた胎内被爆者だ。胎内被爆者の全国連絡会に参加し、会員たちの体験集づくりに携わってきた。
ロシアのプーチン大統領が核兵器使用を示唆したと報道で知り、無力感に襲われた。「今までやってきたことが、砂のように流れていくように感じた」と振り返る。
だが、前向きに活動する連絡会の仲間の姿にこう強く思った。「私たちは被爆について常に発言できる立場にいる。ひとごとにしてはいけない」。連絡会の総会で司会を引き受けるなどより精力的に携わるようになった。「私が70年経って自分の経験を話したように、80年で明かそうという人もいるかもしれない」
2015年に最初の体験集を発行し、20年には2冊目の体験集をまとめた。それぞれ1千部を図書館や大学に配布した。
15年の方は発行から2年後に英訳版が完成し、毎年8月6日に広島市で開かれる平和記念式典の会場で、海外からの参列者に配ってきた。2冊目の英訳作業は大学生に取り組んでもらっている。「私たちももっと頑張らないと」。自分たちの声が世界に届くと信じている。(黒田陸離)
ロシアのウクライナ侵攻で核兵器使用の懸念が高まるなか、核兵器を持つ国と持たない国の参加者が一つのテーブルに付き、それぞれの国の立場を超えて知恵を出し合う「国際賢人会議」が12月10日と11日、広島市で開かれます。「核兵器のない世界」の実現に向けた具体的な道筋についての議論が深まることが期待されています。核兵器を取り巻く厳しい現状に、被爆者たちも深く心を痛めています。一瞬にして家族や友人らを奪われたり、長い年月、病気に苦しんだりしてきた実体験から、核兵器の恐ろしさを広く伝えようとしています。朝日新聞広島版で続く連載「聞きたかったこと」で過去に体験を語ってくれた被爆者のもとを記者が再び訪れ、いまの思いを聞きました。当時の記事も再録します。
(聞きたかったこと)胎内被爆、今こそ語る 広島県呉市 渡辺静枝さん(70)
(2015年10月7日朝刊広島版掲載。年齢や年月日などは掲載当時のものです)
被爆時に妊娠していた女性から生まれた胎内被爆者の体験集が、被爆70年の今夏、発行された。編集した渡辺静枝さん(70)=呉市本町=も胎内被爆者で、原爆投下の1カ月後に生まれた。これまで被爆者の運動に関わったことはなかったが、編集にあたった胸の内を聞いた。
◇
渡辺さんが姉らに聞いた話によると、1945年8月6日の原爆投下時、母の玉井ミツ江さんは現在の広島市西区の広島電鉄横川電停にいた。疎開先の可部町(現・安佐北区)から静枝さんの姉2人を連れ、市中心部の父の実家に向かう途中だったという。
原爆によって停留所は倒壊し、3人は建物の下敷きになった。まもなく火の手が迫り、ミツ江さんが「助けて」と叫び続け、通りかかった消防団に助け出されたという。
爆心地から約1・5キロだっ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル